73.コウモリの間を循環しているコロナウイルスはSARSの発生を引き起こしうる

73.コウモリの間を循環しているコロナウイルスはSARSの発生を引き起こしうる

2002年から2003年にかけて流行したSARSは、30カ国に広がり、推定8500人の患者が発生し、約800人が死亡した。WHOを中心とした国際共同研究により病原体が新しいコロナウイルスであることが明らかにされ、SARSコロナウイルス(SARS-CoV)と命名された。そして病気の封じ込めに成功して、7月5日にはWHOから終息宣言が発表された。人の間でウイルスは消え去ったのである。この発生は、飛沫により伝播される新しいウイルスが現代社会で急速に広がり社会に大きな影響を及ぼすことを如実に示すことになった(人獣共通感染症講座143144145152)。

追跡調査で、SARSの最初の発生は2002年暮れに中国広東省で起きていたことが明らかにされた。SARS-CoVに似たコロナウイルス(SARS-like CoV: SL-CoV)が発生地域の食用野生動物市場のハクビシン、イタチアナグマ、タヌキから分離されており、これらが人への感染源と考えられている。一方、キクガシラコウモリにSL-CoVの遺伝子や抗体を持つものが多くみつかり、コウモリが自然宿主と推測されている(人獣共通感染症講座168)。

そののち、中国、ヨーロッパ、アフリカでコウモリからSL-CoVが見いだされたが、SARS-CoVとは遺伝子配列がかけ離れていた。また、SARS-CoVの受容体はヒトACE2*で、ウイルスの表面にあるスパイク(S)タンパク質に受容体結合部位があって、これを介してウイルスが細胞内に侵入することが明らかにされていたが、コウモリのSL-CoVの受容体結合部位の塩基配列はヒトACE2には結合できなかった。そのため、コウモリのウイルスが直接人間に感染したのではなく、ハクビシンなどの中間宿主を介したと考えられてきた。

*血圧の制御を行うアンジオテンシン変換酵素の相同体

ところが2013年、中国の武漢病毒研究所のグループがヒトACE2に結合するウイルスのコウモリからの分離を報告した。雲南省で1年間にわたってチュウゴクキクガシラコウモリの糞便や肛門拭い液についてメタゲノム解析を行ったところ、サンプルの23%がSARS-CoVと共通配列を持っていて、その中に、95%と高い相同性を持つウイルスゲノムが分離されたのである。このウイルスはSHCO14-CoVと命名された。さらに、コウモリの糞便から1株の感染性ウイルスがVero細胞(ミドリザル由来腎臓細胞株)で分離された。このウイルスは、人やハクビシンのACE2に結合することが確認され、また人の気道上皮細胞、豚の腎臓細胞、キクガシラコウモリの腎臓細胞で増殖した。これはコウモリがSARS-CoVの自然宿主であることを示す強力な証拠となった。また、ハクビシンなどを介さずにコウモリから直接人に感染しうることを示唆している(1)

2015年11月、米国ノースカロライナ大学のグループは、コウモリの間で人に感染しうるコロナウイルスが循環していることを報告した(2)。彼らの成績を簡単に紹介する。マウスに順化したSARS-CoVのSタンパク質を中国で分離されたSHCO14-CoVのSタンパク質に置き換えたキメラウイルスをリバースジェネティックス*で作出したところ、このウイルスはヒト、ハクビシン、コウモリのACE2を介して細胞に侵入した。人の気道細胞に接種すると、SARS-CoV と同様に高い効率で増殖した。マウスに接種すると、肺で増殖し、体重減少が見られ、病原性を示すことが確認された。

* リバースジェネティックス:逆遺伝学とも呼ばれ、ウイルス学では、ゲノムを哺乳動物細胞に組み込んで、感染性のウイルスを作り出す技術を指す。

こうして、SHCO14-CoVのSタンパク質を持ったキメラウイルスがヒト細胞に感染でき、マウスで病気を起こすことが確認されたので、次に、SHCO14-CoVのゲノムの全配列を持つ感染性ウイルスがリバースジェネティックスで合成された。このウイルスはVero細胞ではSARS-CoVと同じ程度に増殖したが、ヒト気道上皮細胞やマウスの肺では増殖の程度が低かった。このことから、SARSの流行を起こすには、さらに人への順化のプロセスが必要と考えられた。

これらの結果にもとづいて、SARS ウイルスが自然宿主のコウモリから人に感染を起こす経路について、3つの仮説が提示されている。その要点を図にまとめた。第1の仮説は、コウモリのウイルスがハクビシンに飛び移って、そこで変異が起きて、流行ウイルスが生まれたというもので、これまでは、この仮説が一般的だった。しかし、遺伝子の系統樹を調べると、初期のSARS患者のウイルスの方がハクビシンのウイルスよりもコウモリのウイルスに近縁だったため、第2の仮説が生まれた。コウモリのウイルスが直接、人に感染してSARSの流行を起こし、次いでハクビシンが感染してウイルスの保有宿主として、感染を持続させたという考えである。さらに、今回のマウスコロナウイルスとSARS-CoVとのキメラウイルスの成績などから、第3の仮説として、コウモリには、人に直接感染できるウイルス集団が循環しているという考えが提示された。第1と第2の仮説では、変異は稀に起こり、人への感染はランダムに起こる。第3の仮説では、変異することなく人への感染がランダムに起こりうる。SARSがふたたび流行する危険性を考慮して、監視態勢の確立、治療薬の開発が求められているのである。

Bat SARS仮説図

文献

1. Ge, X.-Y., Li, J.-L., Yang, X.-L. et al.: Isolation and characterization of a bat SARS-like coronavirus that uses the ACE2 receptor. Nature, 503, 535-538, 2013.

2. Menachery, V.D., Yount Jr, B.L., Debbink, K. et al.: A SARS-like cluster of circulating bat coronaviruses shows potential for human emergence. Nature Med., published online 9 November 2015; doi:10.1038/nm.3985