116.新刊書「ウイルスの意味論 ― 生命の定義を超えた存在」

上記の本がみすず書房から刊行されました。雑誌「みすず」で連載した「ウイルスとともに生きる」の記事をもとに、単行本にまとめたものです(図)。「目次」、「はじめに」、および「あとがき」を紹介させていただきます。

 

 

〔目次〕
はじめに ウイルスとともに生きる
第1章 その奇妙な“生と死”
(コラム 子供がワクチンの運び手だった日本での種痘)
第2章 見えないウイルスの痕跡を追う
(コラム インフルエンザウイルスを最初に発見した日本人科

学者)
(コラム ファージ療法の復活)
第3章 ウイルスはどこから来たか
(コラム 免疫学の仮説提唱でノーベル賞を授与されたウイルス学者バーネット)。
第4章 ゆらぐ生命の定義
第5章  体を捨て、情報として生きる
(コラム 逆転写酵素の論文発表の経緯)
第6章 破壊者は守護者でもある
(コラム GBV-C命名の経緯)
第7章 常識をくつがえしたウイルスたち
第8章 水中に広がるウイルスワールド
(コラム 乳酸菌ファージの研究から生まれたゲノム編集技術)
第9章 人間社会から追い出されるウイルスたち
(コラム ナチュラリストとしてのジェンナー)
(コラム ガン細胞を麻疹ウイルスで溶解する)
(コラム 日の目を見なかった組換え牛疫ワクチン)
第10章 ヒトの体内に潜むウイルスたち
第11章 激動の環境を生きるウイルス
(コラム 豚コレラ ー すぐれたワクチンがありながら、なぜ殺処分されるのか?)
エピローグ:変幻自在なジカウイルスに迫る先端科学
あとがき

〔はじめに ー ウイルスとともに生きる〕

ウイルスには、「正体不明の不気味な病原体」というイメージがつきまとう。エボラ出血熱の発生や新型インフルエンザの出現、あるいはノロウイルスによる集団食中毒といったショッキングなニュースばかりが注目され、ウイルスの驚くほど多様な生態が正しく伝えられていないためである。

本書は、ウイルスが一体どのような存在なのかを紹介し、そしてウイルスの視点から、現在の生態系や地球の進化史、急速に発展した文明を見直してみることを目的としている。本書で取り上げる話題の一部を簡単にまとめておこう。

ウイルスは、一九世紀末に初めて発見された。そして、二〇世紀を通じて、ヒト、動物、植物などの病気の原因としての研究が急速に進展した。最大の成果は、一九八〇年に宣言された天然痘の根絶である(第9章)。

二一世紀に入ると、ウイルス学は新たな展開の時代を迎えた。ヒトゲノム(ヒトの全遺伝情報)の解読に伴い進展した遺伝子解析技術により、ウイルスゲノムの解析が容易となり、ウイルスの生態について新たな情報が急速に蓄積し始めたのである。そして、従来の病原体としてのウイルス像は、ウイルスの真の姿ではなく、きわめて限られた側面を見たものにすぎないことが明らかになってきている(第1章、第6章)。

では、ウイルスの真の姿とは何か。たとえば、長い間、ウイルスは細菌よりもはるかに小さく、単純な存在だと考えられてきた。ところが近年、小型の細菌よりも大きな「巨大ウイルス」の発見が相次いでいる(第7章)。また、高熱、強酸性の温泉など、生物はとうてい生存できないだろうと考えられていた極限環境に生きるウイルスが次々に見つかっている(第7章)。これまでの常識をくつがえした、これらのウイルスの存在は、生物と生命の定義について、また生命の起源について、新たな問題を提起している(第3章、第4章)。

ウイルスは、陸地の生物だけではなく、海洋中にも天文学的な数が存在することが明らかになった。海は地球上で最大のウイルス貯蔵庫ということが認識され、さらに、海洋ウイルスが地球の温暖化など気候変動に関わっている可能性も指摘されている(第8章)。

われわれの体にも、腸内細菌や皮膚常在菌などに寄生する膨大な数のウイルスの存在が明らかにされつつあり、一部はわれわれの健康維持などに関わっている可能性があるという(第10章)。

つまりわれわれは、ウイルスに囲まれ、ウイルスとともに生きているのである。本書では、これまでの人間中心の視点ではなく、生命体としてのウイルスの視点から俯瞰したウイルスの世界を紹介したい。

〔あとがき〕
私は、半世紀を超す研究者人生において、ウイルス学が大きく飛躍した転換点に何度も立ち会ってきた。

私がウイルスと出会ったのは、一九五二年、越知勇一教授が主宰する東京大学農学部獣医畜産学科家畜細菌学教室(現在・獣医微生物学研究室)に入った時である。そこでは、主に細菌の研究が行われていたが、一部でマウスを用いたウイルスの実験も行われていた。翌一九五三年、第一回日本ウイルス学会総会が開かれた。それまでは、ウイルスは、細菌学会の一部門で扱われていた。越智教授はこの学会の発起人の一人で、第二回総会の会長を務められた際には、私たち学生も準備や運営を手伝った。

一九五六年、私は越智教授の紹介で北里研究所に入所した。ここでは、さまざまなウイルスワクチンが製造されており、私の最初の業務は、ウシでの天然痘ワクチンと孵化鶏卵での鶏痘(ニワトリの天然痘)ワクチンの製造だった。そのかたわら、私は世界保健機関(WHO)の天然痘根絶計画に向けて、国立予防衛生研究所(予研:現・国立感染症研究所)と日本BCG研究所の若手研究者たちとトリオを組み、耐熱性天然痘ワクチンの開発研究を行っていた。

一九六一年からは、フルブライト基金でカリフォルニア大学獣医学部に留学し、当時、米国で問題になっていたブタポリオウイルスの病原性について研究を行った。ここで初めて培養細胞によるウイルス実験技術を習得した。

一九六五年からは、予研麻疹ウイルス部で麻疹ウイルスとそのモデルとしての牛疫ウイルスの研究を行った。両ウイルスの研究は、東京大学医科学研究所でも引き続き行った。それはちょうど組換えDNA技術がウイルス研究に導入された時代で、牛疫ウイルスの研究では、耐熱性天然痘ワクチン開発の経験を生かして天然痘ワクチンをベクターとした組換え牛疫ワクチンを開発した。一九九二年に退官した後は、中村稕治博士が創立した日本生物科学研究所で組換え牛疫ワクチンの研究を続けた。

二〇一〇年、国連食糧農業機関(FAO)のローマ本部で、牛疫根絶を確認する専門家会議に参加した際、専門家全員が自己紹介をする機会があった。そこで、天然痘と牛疫の両方の根絶に参加した経験があったのは、私だけであることが明らかになった。気づけば、ウイルス研究者を志してから、五〇年あまりが経っていた。このように、私はウイルス学進展の歴史の重要な局面をいくつか体験してきた。ただしその対象は、あくまでヒトまたは家畜に病気を起こす病原ウイルスに限られていた。

退官したころから、単なる病原体ではない、生命体としてのウイルスに関する研究が大きく進展しはじめた。私はこの新しいウイルス像に強く惹かれ、いくつかの著作でウイルスの生態を中心とした情報を発信してきた。二〇一七年二月、みすず書房の市田朝子さんから、ウイルスの意味論についての原稿の執筆を依頼された。そこであらためて、地球上におけるウイルスの生命史をたどることにし、雑誌「みすず」で一二回にわたって「ウイルスとともに生きる」を連載した。本書は、この連載に修正・加筆を行ったものである。

本書には、友人のフレデリック・マーフィー、トーマス・バレットおよび知人のフリードリヒ・ダインハルト、ドナルド・ヘンダーソン、ウォルター・プローライト、カールトン・ガイジュセック、マックス・アッペルも登場する。多くはすでに他界したが、本書の執筆は、彼らとの交流を思い出しながら、私自身の半世紀を超える研究史を振り返る、またとない機会になった。

後略