1.「異種移植の課題と展望」

臓器移植はすぐれた免疫抑制剤の開発と医学水準の向上で確立された医療になってきました。
しかし、日本では昨年に初めて脳死からの移植手術が実施されたばかりです。
しかしドナーはなかなか現れずいまだに外国へ移植を受けに行く患者さんが続いています。
一方、脳死からの移植が広く行われている欧米では深刻なドナー不足が大きな問題になっています。
移植を待っている患者は全世界では10万人に達するともいわれています。
臓器不足の解決のために臓器提供を意図的に増加させる手段や方策もいろいろ考えられていますが、とても臓器不足の解決に役立つことは期待できません。別の手段として人工臓器の開発も考えられます。しかし、複雑な機能や構造の臓器を人工物で代用することは技術的に非常に困難です。
このような背景から臓器不足の根本的解決策として登場したのが本日の話題の異種移植です。
人の臓器を人に移植する手術は同種移植と呼びます。異種移植では人以外の動物、すなわち異種の動物の臓器を移植することから、このように呼ばれます。現実にはブタの臓器の移植の研究が非常に進展しており、英国や米国では臨床試験に向けての準備が進んでいます。
本日はこの異種移植について、歴史的背景、ブタが選ばれた理由、解決しなければいけない技術的問題、感染のリスク、生命倫理などを解説いたします。
医療として異種移植が試みられるようになったのは1960年代からです。
これはアザチオプリンやステロイドといった免疫抑制剤の使用により、腎臓移植での成功例が出てきて移植医療が進展し始めた時期に一致します。同種移植とほとんど平行して異種移植が試みられるようになったのです。
ここでは主にチンパンジーやヒヒの臓器の移植が世界各国で試みられました。
たとえば肝臓や腎臓移植のパイオニアである米国のトーマス・スターツルは1964年にチンパンジーの腎臓を、また1966年にはチンパンジーの肝臓を移植しています。また最初の心臓移植を行ったことで有名な南アフリカのクリスチャン・バーナードは1977年にチンパンジーとヒヒの心臓移植を試みています。しかし、ほとんどの場合短期間で移植された臓器は拒絶され患者はすべて死亡し、しばらくの間、異種移植の試みはありませんでした。
1980年代になって免疫抑制剤シクロスポリンが登場しました。これにより移植を受けた患者の生存率は飛躍的に高まり本格的な移植時代に入っていきました。そこで起きたきた臓器不足の問題の解決策として、異種移植がふたたび取り上げれてきました。
異種移植のパイオニアの役をつとめることになったのは、英国ケンブリッジ大学の免疫学研究者、デイヴィッド・ホワイトです。
彼は免疫抑制剤シクロスポリンの有効性を見いだした人でもあります。それまでの異種移植の歴史を振り返ると候補になりうる動物はブタとヒヒでしたが、デイヴィッド・ホワイトが選んだ動物はブタでした。その主な理由は次の4点です。

第1に、その動物の臓器が人と同じような大きさで生理的機能も似ていることです。せっかく移植してもサイズや生理機能が違っていては、臓器としての役割は果たせません。
第2に、危険な微生物に汚染していないこと、第3に十分な動物数が確保できること、第4にペットは除外することでした。
第1から第3までの条件が仮に合致していてもペットは心情的に受け入れられないというわけです。
これらの条件にあったものがブタです。
ブタは人とサイズが似ており、生理機能の面でも似た面が多くあります。医学研究用にも広く利用されています。
第2の条件の微生物汚染の面では、ブタは1950年代から特定の病原体の汚染のないもの、specific pathogen-freeを省略してSPFブタと呼ばれるものが作られています。
家畜の中ではもっとも微生物汚染の少ない動物です。第3の供給数の点では、ブタは家畜の中でももっとも飼育頭数が多く全世界で9億頭が飼育されています。
数の点ではまったく問題ありません。またペットと違って倫理的な抵抗感も少ないとみなされます。
一方、ヒヒの方を見ますと、サイズや生理機能では人によく似ており、この点ではブタよりもすぐれています。
しかし、ヒヒは人に危険ないくつものウイルスに感染していることが知られています。
さらに最大の問題は供給数です。世界最大のヒヒの繁殖施設はアメリカ、テキサスにありますが、ここでも飼育数は3000頭です。
ヒヒが性成熟して子供を生むようになるには5年から7年かかり、妊娠期間は約10ヶ月で1回に1頭しか生まれません。
これでは臓器不足の解決にはまったくなりません。
このような条件の検討の結果、ドナー動物としてはブタが最適ということになりました。
ところが、これまでブタの臓器を人に移植した手術では、すべて1日からもっとも長くても3日で患者は死亡しています。
これは超急性拒絶反応によるものです。人の臓器を移植する同種移植では移植後6ヶ月くらいまでに起きてくる急性拒絶反応と、さらにその後、年単位で起きてくる慢性拒絶反応があります。
いずれも、主にリンパ球の働きによる免疫反応で、移植された臓器を異物とみなして排除しようとすることで起きてくる反応です。
この反応を抑えるために免疫抑制剤が使用されているわけです。

ところが異種移植では、移植後数分以内から超急性拒絶反応が起きてきます。この反応の克服が異種移植を成功させるまず第一のハードルでした。

この超急性拒絶反応のメカニズムについての研究は1980年代になって進展しました。
ブタの組織に存在するアルファガラクトース抗原と呼ばれる物質に対する自然抗体が人の血液中に存在していて、これに血液中の補体と呼ばれる一群のタンパク質が加わって起こる免疫反応の結果であることが明らかになってきたのです。
アルファガラクトース抗原は人には存在していないため、生まれてから受けるいろいろな抗原刺激の結果、この抗原に対する抗体が自然に作られているのです。
ブタの臓器を人に移植すると、ブタの臓器の血管壁を形づくる内皮細胞にはアルファガラクトース抗原があります。
これに人の血液中の自然抗体が結合し、さらに血液中の補体が加わって一連の反応が起こり、それにより移植されたブタの血管内皮細胞が破壊され、血管壁に孔があきます。
そこから血液が漏れ出すのをとめるために血液凝固が起こり、その結果、ブタ臓器への血液の供給が止まってしまい、臓器が死滅するのです。

超急性拒絶反応の克服する手段として理論的に考えられるものとして、まず、この抗原を持たないブタを作ること、人の血液からこの自然抗体を取り除くこと、または補体の反応を抑制することが考えられます。
デイヴィッド・ホワイトがとりあげた手段は補体の反応抑制です。
補体の一連の反応は補体制御蛋白と呼ばれるいくつものタンパク質でコントロールされています。
そのうちのひとつ、DAFと呼ばれるタンパク質を持ったブタを作り出すことを考えたのです。
すなわち、人の補体のひとつの成分を持ったブタの臓器であれば、アルファガラクトース抗原と自然抗体の反応は、人のDAFで抑制されると考えたわけです。
そこで人のDAF遺伝子をブタの受精卵に注入し、人DAF遺伝子を持つブタを作りだしたのです。
この人DAF遺伝子導入ブタの第1号は1992年に生まれました。

ここで、このブタをドナーとする異種移植の動物実験が始まりました。
アルファガラクトース抗原に対する自然抗体は霊長類にだけ存在します。そこでカニクイザルやヒヒなどのサルへの移植が試みられました。
その結果、1995年にはブタの心臓がサルの体内で60日以上生着する結果が得られ、超急性拒絶反応を回避しうる可能性が明らかにされたのです。

この段階になって、異種移植はきわめて現実的なものとなりました。
研究から実用化へと事態は急速に進展し、それとともに異種移植をめぐる論議も深まってきました。

 

#2へ続く