人獣共通感染症連続講座 第29回 米国訪問を終えて

(2/4/96)

動物工場での医薬品製造 National Symposium on Biosafety,CDC

1月21日から2月3日にかけて丁度2週間米国各地をまわって帰国したところです。 目的は

トランスジェニック動物での医薬品の開発とそれに関する規制の現状の視察

日米科学協力事業(実験用霊長類)のひとつとしてNIHの訪問(National Center for Research Resourcesでの打ち合わせ、神経科学を中心とした新設の共同利用動物実験施設 -Bld 49、サルを含む動物実験を中心に新設された遺伝子治療研究用施設)
Microbiological Associatesでのプロセス・バリデーションを含むバイテク製品の品質管理の現状
CDC主催のNational symposium on biosafety出席
CDC訪問
ヤーキス霊長類センター訪問
でした。
(2)以降は予研霊長類センターの吉川泰弘所長と長崎大学医学部の佐藤先生と一緒でした。

非常に盛り沢山の成果が得られましたので、これから何回かにわけてそれぞれのトピックスについてご紹介することにしたいと思います。 今回はとりあえず簡単にまとめられる点や感想などにとどめます。 断片的になるかと思いますがご了承ください。

(1) 動物工場での医薬品製造 (Genzyme Transgenics、PPL Therapeutics)

ボストン郊外のジェンザイム・トランスジェニックスでは山羊の乳の中にアンチトロンビンIIIの生産が行われており、今年から臨床第1相試験が予定されています。 本講座第20回でご紹介したFDAのPoints to Considerへの対応も全部できているようです。

人獣共通感染症として山羊由来の病原体についての考え方も整理されています。 詳細は別の機会に譲りますが、やはり一番問題にしているのはプリオンです。 これは第20回の本講座でご紹介したスパイキングによるバリデーションと、スクレイピー汚染のないニュージーランド産の山羊を使用することなどが中心です。 さらに量的な評価を、もっともきびしいといわれるドイツの規則にしたがって検討しています。 この規則のコピーはいずれ私のところに郵送されてくることになっていますので、後日、この問題もあらためて取り上げるつもりです。

PPL社の本部はスコットランドにあり、バージニア州のブラックスバーグ(ここにはバージニア工科大学がありますが、研究はタフト大学の獣医学部との共同です)には新しく出来た実験施設があります。 スコットランドでは以前にご紹介したように羊でのアンチ・アルファトリプシンの製造が行われており、これも今年から臨床試験が予定されています。 バージニアの施設では牛と豚での医薬品生産の開発研究と生殖生物学に関する基礎研究が行われています。

このふたつの施設をたずねて印象深かったのは、いずれも地域社会に非常に好意的に受け入れられていて、動物権利団体などからの攻撃も受けていないことです。 その背景についてもいずれご紹介します。

(2) NIH National Center for Research Resourcesほか

NIHの7つの霊長類センターと実験動物管理の部門が一緒になったものです。 設立されて間もない時期であった1991年に吉川先生と一緒に訪問した際の記録(日米科学の報告書)があり、その中でここの活動は詳しく紹介されています。 興味のある方は霊長類研究班の班長でもある吉川先生に請求されたらよいと思います。

Bldg 49や遺伝子治療研究施設については、吉川先生がまとめてくださるので、省略します。

(3) Microbiological Associates

副社長のプライスBlandon Price博士をはじめプロセス・バリデーションの担当者などとバイテク医薬品の品質管理とくにプロセス・バリデーションの実態について興味ある話をうかがうことができました。 日本の製薬メーカーもここの実験施設で小規模の精製プロセスを再現してバリデーションを行っているそうです。

スパイキングテストによるバリデーションですが、スパイキングという言葉は俗語で加えるという意味です。 すなわち第20回の本講座でも触れたように各精製過程でインデイケーターとしてのウイルスを加えることを指したものです。 10種類のエンベロープウイルスと6種類の非エンベロープウイルスがインデイケーターとして用意されていますが、実際に用いられているのは大体12種類とのことです。 ここでも問題はプリオンです。

実験動物健康管理サービスLaboratory Animal Health Serviceの部門は部長がジョー・ヘルドJoe Held博士です。 彼はNIHの実験動物部門の元部長です。 私とは同じカリフォルニア大学の同窓生です。 病理担当のトニー・アレンTony Allen博士もNIHから移ってきた人で日米合同で確立した実験動物の微生物モニタリングシステムで中心的役割を果たしました。 昔のNIH実験動物部門がそのまま移った感じがします。

筑波霊長類センターの現業を分担している予防衛生協会(私は理事をつとめています)ではBウイルスやフィロウイルスの抗原をここから購入していますが、これらは米陸軍微生物病研究所USAMRIIDのP4実験室を借りて作成しています。 フィロウイルスのうちエボラウイルス・ザイール株とスーダン株のモノクローナル抗体はありますが、レストン株に対するものは作成中です。

(4) National Symposium on Biosafety

1月27日の技術者対象のワークショップに始まり1月31日午前中まで開かれました。 全米からバイオセイフテイ関係者が500名あまり参加し、海外からも14か国45名が参加したそうです。 日本からは10名前後いました。

基調講演はエメット・バークレーEmett Barkley博士(ハワード・ヒュージス研究所)が行いました。 彼はかって国立癌研究所のバイオセーフテイ部長をつとめており、この分野の正に第一人者です。 1970年代に私は2回彼のところを訪問し、封じ込め施設について本当に多くのことを教わりました。 予研のP4実験室、理研のP4実験室の建設は彼に負うところ極めて大きかったのです。 約20年ぶりに再会を喜び合いました。

CDC の特殊病原室の室長ピータースC.J. Peters博士がエマージング・ウイルスについてのレビューを行いました。 彼はレストンでのフィロウイルス発生の時にはUSAMRIIDに居ました。 その後、CDCに移り、ハンタウイルス肺症候群、ザイールのエボラ出血熱で活躍したことはご承知のとおりです。

私にとって大変嬉しかったのはチュレーン霊長類センターTulane Regional Primate Research Center (かってのデルタ霊長類センター)のジローンPeter Gerone所長に20数年ぶりにお会いできたことです。 1974年に予研の霊長類センター設立のための視察旅行の際に行った時以来です。 その際に私がおみやげに差し上げたテープレコーダーを今でも使っていると言われ、感激しました。

このシンポジウムの内容は極めて充実したものであり、とても簡単にはご紹介できません。 いずれ、本講座の中で適当に触れていくつもりです。

とくに印象深かったのは異種移植での安全性についての話です。 ヒヒと豚からの移植における安全性をレシピエントだけでなく公衆衛生の観点を非常に重視して、徹底的なリスク評価が行われました。 ゾーノシスに対応するものとしてゼノーシスxenosisという言葉が完全にひとり歩きを始めました。

(5) CDC

シンポジウムの合間をぬって午後の半日CDCのウイルス・リケッチア部のブライアン・マーヒーBraian Mahy部長を訪問しました。 彼は現在カリフォルニア大学獣医学部長フレッド・マーフィーFred Murphy博士の後任で7~8年前に英国から来た人です。 日本人にとっては両者の発音が似ているので良く間違えられることがあります。 なおフレッド・マーフィーはかの有名な蛇のような形のエボラウイルスの電子顕微鏡写真をとった人です。

ブライアン・マーヒーには電子メールで訪問の連絡をしていたのですが、なかなか返事が来なくて、どうなっているのかと心配していたら、例のクリントン大統領と議会の喧嘩で予算が凍結され、秘書も自宅待機になってお手上げ状態であったためと分かりました。 とにかくインターネットのおかげで出発直前になってリアルタイムの連絡ができました。

ブライン・マーヒーは私が共同研究をしている英国家畜衛生研究所のパーブライト支所の支所長でした。 高度隔離実験にも経験が深い点を買われてCDCに呼ばれたといっています。 彼の部にはウイルス研究者だけで300人以上います。 これだけで予研よりも大きな組織であることが分かります。 この下にエボラウイルスなどをあつかう特殊病原室、狂犬病室(ここは大分大学の万年先生が留学していたところです)、インフルエンザ室、ゾーノーシス室などいくつかがあります。 天然痘ウイルス3株の全遺伝子解析もここで行われました。

エボラで有名になったBL4実験室は1989年に運転開始したものです。 私が1977年に見学した際のものは現在は結核研究用になりました。 これは1ユニットだけで実験中の部屋に当時の室長カール・ジョンソン博士が案内してくれました。 新しいBL4実験室は2つのユニットに分かれ、半年毎に一方を点検整備することができるようになりました。 今回は丁度、その整備の最中でしたので、内部をすべて見せていただくことができました。 案内はトム・キアゼクTom Ksiazek博士でした。 彼は獣医で、ピータース博士と一緒にUSAMRIID からCDCに移ってきた人です。 2メートルはあるかと思われる背の高い人で、大変エネルギッシュでしかもやさしい感じの人でした。 スーツを着ていると話が非常に聞こえにくいので大きな音が送られてくるため、もうかなり難聴になってしまったと言っています。 そのためかどうか分かりませんが、大きな声の人です。 実験室はかってのものはグローブボックスラインが並んで物々しい感じでしたが、スーツラボになってからは、スーツへのエアを送るパイプが天井からぶらさがっているのを除くと、普通の実験室とはあまりかわりはありません。 スーツは10ポンドすなわち約5キロで、1時間23回の換気が行われているそうです。 トイレはどうするのかと尋ねたら、その時はたれながしになるので、なるべくコーヒーなど飲み過ぎないようにするとの返事でした。 実験によっては半日以上入っていることもあるので、なかなか大変です。

以前にローリー・ギャレットの論説(第7回本講座)をご紹介しましたが、そこではBL4 で働けるのは6名に過ぎないと指摘されていました。 しかし、現在では12名になったそうです。

ブライアン・マーヒーはパラミクソウイルスの専門家でもあるのでオーストラリアの馬モービリウイルスのことを尋ねたところ、先日、トム・キアゼクがオーストラリアに行ってきて、現在CDC で遺伝子解析を始めたところだそうです。 麻疹ウイルス室のベリーニWilliam BelliniとロタPaul Rotaによれば今、RNAを抽出したところとのこと。 はたしてモービリウイルスに分類してよいかどうかも疑問視しています。

(6) 動物検疫

米国は感染症のベクターになる可能性のある動物は検疫の対象になっています。 しかし、今回のシンポジウムで外来性ペットというタイトルのセッションがあり、そこでコーモリが話題の中心になりました。 よくよく聞いてみると行政上のミスで輸入を見逃してしまっていたそうで、最近、コーモリ検疫についてのガイドラインが出されました。

このセッションのスピーカーであったステファニー・オストロウスキーStephanie Ostrowski博士がCDCの動物検疫の責任者であることが分かったので、シンポジウムの翌日、ヤーキス霊長類センター訪問中に時間をさいて訪ねました。 1時間あまりのインタビューでしたが、米国の動物検疫の実態について非常に詳細に教えていただきました。 これまで書かれていたものから判断していたこととは違う側面もずいぶん分かりました。 今回の訪問の大きな成果のひとつでした。 いずれ機会を見てご紹介したいと思います。

(7) 実験動物の管理と使用のガイドライン

Guide for the care and use of laboratory animals: Institute of Laboratory Animal Resources (ILAR)の改訂版について

改訂版のPrepublication copy(1996年1月17日付け)が参加者全員に配付されました。 最終版だそうです。 これについての説明はNIHのOffice for Protection from Research Risk (OPRR)のネルソン・ガーネット博士から行われました。

このコピーをご入用の方は予研・吉川先生か長崎大・佐藤先生に依頼されたらよいと思います。 116ページもあり私の方は人手不足でコピーをとるのは大変ですので。

(8) ヤーキス霊長類センター Yerkes Regional Primate Research Center

私にとっては3回目の訪問でした。 とくに人獣共通感染症とはあまり関係がないので、省略します。