人獣共通感染症連続講座 第15回 ハンタウイルス肺症候群

(8/23/95)

1. ハンタウイルスによる腎症候性出血熱

ブニアウイルス科ハンタウイルス属のうち、もっとも代表的なウイルスはハンターン(Hantaan)ウイルスです。 これは韓国出血熱の病原ウイルスとして韓国の38度線近くを流れるハンターン川の名前が由来です。

ハンタウイルスは属名、ハンターンはウイルス株名ですが、混乱を起こしやすい名前です。

韓国出血熱は色々な名前で呼ばれてきました。 第2次大戦中に日本陸軍が流行性出血熱と命名し、731部隊で研究を行ったことでも有名です。 北欧では流行性腎症と呼ばれています。 韓国出血熱が注目されるようになったのは1951年から1954年にかけての朝鮮戦争で国連軍の兵士3000人以上が感染したことです。 そして1976年に高麗大学の李教授Ho Wan Leeが自然宿主のセスジネズミから原因ウイルスの分離に初めて成功しました。 これがハンターンウイルス76-118株です。 なお、このウイルス分離から同定の研究では、これまでも本講座に出てきたカール・ジョンソン博士が深くかかわっています。

日本では1969年から1984年の間に医科系大学の動物実験施設24ケ所で計126名が感染して、大きな問題になりました。 同様の実験室感染は韓国、ベルギー、フランス、英国などでも起きています。

ウイルスの宿主は韓国出血熱ではセスジネズミ、北欧の流行性腎症ではヤチネズミ、実験室感染では実験用ラットです。 ウイルスはネズミで病気を起こさず、尿の中に排泄されます。 このウイルスに汚染したエアロゾルを吸い込むことで人が感染します。 これらについては第9回でもすでに述べたとおりです。

本ウイルスによる病気は高熱、出血、腎障害を特徴としており、WHOの会議(1982)で腎症候性出血熱(Hemorrhagic fever with renal syndrome: HFRS)と名付けられました。

2. 新しいハンタウイルスによる急性呼吸困難症候群(ハンタウイルス肺症候群)

この病気の経緯は以前にも紹介したローリー・ガレットが昨年出したThe coming plague(しのびよる疫病)という大作の中でリアルに描写していますので、それをもとに整理してみます。

米国中西部ニューメキシコ、アリゾナ、コロラド、ユタの4州が境を接する地域(フォーコーナーズFour cornersと呼ばれています)に175,000人のナバホインデイアンの自治区があります。 そこで、19才の陸上競技の選手が彼の24才のガールフレンドの葬式に行く途中、車を運転中に突然、発熱、頭痛、呼吸困難を起こして数分後に死亡しました。 1993年5月14日のことです。 ガールフレンドはその2,3日前に同じような突然の呼吸困難で死亡していました。 そして1週間経たないうちに、彼女の兄弟とそのガールフレンドが同じように病気になって、このガールフレンドも死亡しました。

こうして3人の若者が続けて死んだことから、ニューメキシコ州の衛生局の調査が始まりました。 この地域には腺ペストがあり、おそらく世界で最高とみなされるペスト研究所があります。 しかし、腺ペストは否定され、また同様の呼吸器疾患の原因となるヘモフィルス菌、インフルエンザ、ウイルス性肺炎もすべて否定されました。 そして原因不明の急性呼吸困難症候群と仮の診断がなされました。

ペストの保菌動物であるプレーリードッグprairy dog(マーモットの1種)退治に毒ガス、ホスゲンの仲間であるホスフェンの使用がこの地域では許されていたので、ホスフェン中毒も疑われましたが、死亡した人の家にはホスフェンはありませんでした。

死亡者の数はさらに増え、マスコミはナバホ病とかナバホインフルエンザという名前で報道を始めました。 実際にはナバホ以外でも死亡者がいたのですが、それは無視されました。 ナバホの間では数日間は死んだ人についての話をしたり、死者の名前をつぶやくことはタブーでしたが、マスコミはそれを無視して取材を続けたのです。 人種差別と病気への恐怖からアンチ・インデイアンの動きは激しくなり、6月の初めには、ウエイトレスがナバホに対してはゴム手袋をして給仕するとか、カリフォルニアに旅行しようとしたナバホが拒否されるといった事態が起きてきました。

CDCのトップの人達が集まって、この問題を検討したのは5月27日でした。 1989年のカニクイザルのエボラウイルス感染の際に活躍したC.J.ピータースPetersは国防省予算の削減でUSAMRIID からCDCの特殊病原室に移ってきたところでした。

彼のグループが研究を開始してわずか1週間、6月3日には患者の血液中の抗体がハンタウイルス抗原と反応することを見いだしました。 一方、P4実験室内で患者血液を接種されたマウスにハンタウイルス抗体の産生が認められました。 患者の血液の中に感染性の病原体が含まれていて、マウスの身体の中で、増殖していたのです。

ハンタウイルスらしいというヒントが得られたことから宿主探しが始まりました。 そして数100個のねずみとりが仕掛けられました。 この地域には腺ペストがあるため細心の注意が払われました。 一番多くつかまってきたのはシカネズミ(Peromyscusmaniculatus)でした。 褐色の大きな耳をしていて腹と尾が白く大きな黒い眼が頭蓋骨の中に沈みこんでいるネズミで、褐色と白がまざっていることから、シカネズミと呼ばれているものです。 フォーコーナーズ地域で捕まえた770匹のシカネズミの1/3にPCRでウイルス遺伝子の存在が確認されました。 7月半ばまでにCDC の研究室には1万以上の動物と人のサンプルが届き、8月末には2万に達しました。

6月の第1週の終わりまでに原因ウイルスがこれまでに知られているハンタウイルスとは異なる新しいタイプであることがわかってきました。 既知のハンタウイルスの中ではメリーランド州のNIH近くのプロスペクトヒルProspect Hillで1983年にMicrotuspensylvanicus(和名はペンシルバニア・ハタネズミでよいのでしょうか?)から分離されたプロスペクトヒル株にもっとも近いことがわかりました。 しかし、プロスペクトヒルウイルスで病気が起きたという報告はありません。

以上がThe coming plagueに書かれている本病の大体の経緯です。

最初の患者が見つかってから1か月以内に原因ウイルスが分離され、宿主が明らかにされました。 そのおかげで、この病気がナバホに限ったものでないことも証明され、人種差別の動きもおさえることができました。 現在のウイルス学の技術のめざましい進展に支えられた成果の1例といえますが、その技術が行かされる基盤があったことに注目しなければなりません。 ニューメキシコ州衛生局の医師達が最初の患者に注目し、適切な対応をしなければ、単なる小さな流行で終わっていたであろうと言われています。 それまでにハンタウイルスについて大きな蓄積のあったことも幸いしていますし、また1989年末からのカニクイザルのエボラウイルス感染での経験も役に立ったことが推測されます。

1993年8月にグラスゴーで開かれた国際ウイルス学会の最終日13日の金曜日に出血熱のワークショップがありました。 そこでUSAMRIIDのヤーリングJahrlingが最初はエボラウイルス・レストン株のカニクイザルへの実験感染について発表する予定だったのを急遽、演題を変更して本病の原因ウイルスについての発表を行いました。 病気発生からわずか3か月後というのに、原因ウイルスの分離、そのウイルス遺伝子についての情報、宿主がシカネズミであって、おそらく新しいハンタウイルスであろうといった成果を示されました。 数10名の聴衆でしたが、皆、感銘を受けていました。 聴衆の中には韓国出血熱の病原ウイルス・ハンターンウイルスを分離された高麗大学の李先生の顔も見えました。

ハンタウイルス肺症候群の患者はテキサス、ルイジアナなどでも見つかり、1994年にはロードアイランドの学生が死亡しました。 1994年3月20日のCDCの集計では60例が確認されました。 今年の5月にはニューヨークで2名の死亡者が出ました。 今年の8月4日付けのCDCの集計では23州で115名の患者が確認され、致死率は51.3%となっています。

ウイルスの本体は分かってきましたが、韓国のハンターンウイルスや北欧のプーマラ Puumala ウイルスが腎臓障害を起こすのに、この新しいハンタウイルスは肺の障害を起こす点に大きな違いがあります。 病気の本体はこれからの研究課題でしょう。

3. 新しいハンタウイルスの名前

最初の患者が見つかった地域の名前をとって仮にフォーコーナーズ(Four corners)ウイルスと呼ばれています。 The coming plagueでは1994年1月にムエルトキャニオン(Muerto Canyon)ウイルス(Muertoはスペイン語で死ですので、死の谷のウイルスになります)に正式に命名されたとなっていますが、これは原住民にとって神聖な地域の名前であることから拒否されたといわれています。

シン・ノンブレ(Sin Nombre)ウイルスという名前も用いられています。 これはスペイン語で名前がないという意味です。 フォーコーナーズ地域にこの名前の場所があるそうです。 名前のない場所というわけでややこしい話です。 ProdMedでこのところ、このハンタウイルスの名前として国際ウイルス命名委員会が、フォーコーナーズウイルスを正式に認めたというニュースが流されたあと、それを否定する発言、シン・ノンブレという地名が存在しないという発言、それに対して例のカール・ジョンソンがこれらの議論をハンタウイルス命名ブルースと名付けて、正しい地図にはこの地名がのっていること、命名の権限は国際ウイルス命名委員会ではなく新しいウイルスを発見した者にあるということを述べています。 そしてBetter sin nombre than sin verguenza (恥知らずよりも名前がない方がまし)としめくくっています。

4. ハンタウイルスワクチン

米陸軍USAMRIIDでワクチニアウイルスベクターにハンタウイルスの防御蛋白遺伝子を組み込んだ組み換えワクチンが開発され、動物実験で効果が調べられています。 1993年10月のASM News(米国微生物協会ニュース)では近いうちに、おそらく中国で人体試験が行われると書かれていますが、その後、どうなっているのか、私は知りません。 これは韓国出血熱タイプには効果がありますが、北欧の流行性腎症の原因プーマラウイルスには部分的な効果しか示しません。 また、フォーコーナーズウイルスには効果はないと言われています。

ワクチニアウイルスは種痘ワクチンとして長年にわたって使用されてきたもので、すでにこれをベクターとした組み換え狂犬病ワクチンが野生の狐用として大規模野外実験が行われております。 私のグループでは牛の急性伝染病である牛疫の組み換えワクチンを開発し、すでに封じ込め段階の試験を終えています。 エイズのワクチンとしても大分、以前から同様の組み換えワクチンの研究がいくつかの研究グループで研究されています。

しかし、種痘の際の副反応が組み換えワクチンでも問題になることから、人体用にすぐに利用できるかどうかが問題になっています。 USAMRIIDは軍隊用のワクチン開発が任務であって、民間人用は目的外と考えています。 しかし、もしも米国の民間人用のワクチンであれば、カナリアポックスウイルスをベクターとしたらどうかと言っています。 カナリアポックスウイルスはワクチニアウイルスと同じポックスウイルス科のものですが、ニワトリの鶏痘ウイルスの仲間で、ほ乳類では増殖しません。 しかし、なぜかこれをベクターとした場合、増えないのにほ乳動物に免疫を与えることから、安全性の高いワクチンとして狂犬病、麻疹などいろいろな人体用ワクチンの開発に利用されはじめています。 このタイプのワクチンはdead live ワクチン(死んでいる生ワクチン)として関心がもたれており、その免疫のメカニズムには面白い側面が分かりつつありますが、本題からはずれるので、割愛します。