人獣共通感染症連続講座 第111回 新刊書「信頼の裏切り(Betrayal of Trust)」

(1/31/01)

本講座(106回)でローリー・ギャレット著「カミング・プレイグ」をご紹介しました。これに次ぐ彼女の作品「信頼の裏切り:地球規模での公衆衛生の破綻」Betrayal of Trust: The Collapse of Global Public Health (出版社:Hyperion)が2000年秋に出版されました。

カミング・プレイグでは微生物の逆襲の実態が生々しく描かれ、その背景が多面的に分析されています。そのような実態を紹介した著者は、解決策を求めて世界を回り、その結果をもとに本書が執筆されました。

本書の表題は、公衆衛生への信頼が裏切られたことを示したものです。私のメモとしてまとめた内容をご紹介しようと思います。カミング・プレイグと同様の大作ですので、ほんの一部だけです。

なお、1月12日に、NHK 衛星放送BS23でローリー・ギャレットとのインタビューが放映されました。21世紀のルールという特集番組の第4回「病原体の恐怖」というタイトルの番組でした。藤沢秀俊キャスターがニューヨークまで出かけてインタビューしてきたものです。大変よくまとまった番組でした。カミング・プレイグの中のさわりの部分の映像に加えて、今回ご紹介する「信頼の裏切り」の第1章の主題である1994年インドで起きたペストの映像もまじえながら、ローリー・ギャレットのメッセージを分かりやすく紹介していました。

「信頼の裏切り」

序文
「カミング・プレイグ」出版後に悩むことになったのは解決策である。ジャーナリストは書くことだけで社会のジレンマの解決は自分の役割ではないと考えている。しかし地球人の立場にたつと、絶望的な実態に対する解決を求めなければならない。そのためには、公衆衛生の社会基盤をさらに知る必要があると著者は考えたのである。

旧ソ連に調査旅行に出かけてみると、そこでは公衆衛生への信頼はとうの昔に裏切られていた。インドでは経済発展で得られた富が軍事費や核開発に向けられ、公衆衛生は忘れ去られた。そこにペストが発生した。

過去の感染症の歴史を眺めると、感染症による死亡率の低下で平均寿命が延長したのは抗生物質の時代よりも前だった。公衆衛生とはなにかと著者は問いかけている。

パスツールの時代には公衆衛生は局地の問題として政治的援助で解決できた。しかし、ヒッチハイカーとなった微生物が移住者、旅行者、貨物とともに世界中から集まる現代は異なる。インドでのペスト、キクウイトのエボラ、シベリアの刑務所での結核、アフリカでのエイズなど、社会は全世界にまたがるものとなった。公衆衛生は地球規模での予防でなければならないというのが著者の結論である。

第1章 不潔と腐敗

1994年にインドのスーラットでペストが発生した。前の年にマハーラーシュトラ州のラトウール市で起きた地震とそれに続くモンスーンの後に最初の発生が起きていた。1966年から88年までインドではペストは発生していなかった。連邦政府の公衆衛生の予算は国家予算のわずか0.04%、10年前の10分の1以下だった。一方、スーラットの人口は20年間で150%増加し、スラムはすさまじい状態になっていた。そこへペストが襲いかかった。

BBC放送がペスト発生を報道した12時間後には、10万人の市民が列車に飛び乗った。大脱走が始まったのである。インド国内だけの問題ではなくなった。ロンドン空港では、インド航空の飛行機が患者が乗っている疑いがかけられた。しかし、検疫室はとうの昔になくなっていた。ノーベル受賞者のマリア・テレザはローマ空港で健康診断を強制された。WHOもほとんど無力だった。

一方、ペスト菌の遺伝子解析で病原性が低いタイプであることが明らかになるとともに、これは人工的なペスト菌との説が生まれた。米国大使館がこれに巻き込まれ、このような菌を作れるのは米国だけだと矢面にたたされたのだった。

本章の終わりに著者は、また、すぐに地球上のどこか遠いところで同様に公衆衛生への信頼が試されるだろうと予言している。

(今回、インドのグジャラート州で起きた大地震が、ペストもしくはほかの感染症の大きな流行につながるおそれを予言しているように思えます。すなわち、1994年のペストの流行について、本書は1993年9月、グジャラート州のすぐ南隣りのマハーラーシュトラ州(首都はボンベイ、現在のムンバイ)の近くの農村地帯で起きた地震がきっかけだったと指摘しています。それほど大きくはなかったものの数100万人が家を失い1万人が死亡したと伝えられたものです。この地震にあい、大急ぎで穀物を収穫し、それを壊れた家にしまってから避難した人たちが、余震が収まってから家に戻ったところ、多数のねずみとシラミが占領しており、それがペストの発生の原因になったという考えです。)

第2章 ランダ・ランダ

ランダ・ランダは見知らぬ人のことである。しかし、今回のランダ・ランダはほかのどんな病気よりも恐ろしいエボラだった。

1995年に人口40万人のキクウイトで起きたエボラ出血熱は、政治の腐敗により公衆衛生が危機に瀕していることを証明した。

キクウイトは中都市といっても村を大きくしたようなもので、都市としての基盤整備は皆無だった。燃料は炭が値段の面から中心であり、熱帯雨林はだんだん切り開かれていった。最初の患者の炭焼きはその中で感染した。1月に感染・死亡したのち、感染のサイクルは気がつかれることなく、進行した。大きな発生になったのは、5月になって病院での院内感染がきっかけだった。ピアニッシモの流れが病院で増幅されてフォルティッシモの騒音になったと、著者は表現している。

病院内での感染の広がりを示す図が作られたが、それがマスコミに漏らされ、最初の患者はエボラを広めた張本人として、彼の家族は村を逃げ出す結果となった。

WHOチームによる制圧の経緯、マスコミの横暴ぶりが克明に紹介されている。

第3章 ブルジョアの生理学

公衆衛生の破綻は旧ソ連の時代に始まっていた。そして、ソ連解体後はさらに加速した。そのすさまじさが160ページにわたってリアルに描かれている。

1970年にはソ連の科学者は衛生状態の改善に成功し人口は2000年までにロシアだけで1億6000万人に達すると予測した。しかし、1990年代に急速に減少し、2010年までには1917年の革命以来の最低レベルになると予想されるようになった。ソ連の時代の人口動態が巧妙にごまかされていたことも明らかになった。乳幼児死亡率での乳幼児は生後半年以上生きていた子供が対象となり、生後すぐに死亡した子供は除外されていたのがその1例である。

1970年代には、中絶率が著しく増加した。ソ連製のコンドームが不良品だったためである。1995年の調査では、グルジアの平均的女性は26才までに10回以上の中絶、それも非合法の手段で受けていた。

チェルノブイリでの甲状腺腫瘍の増加、バイカル湖付近のダイオキシン、鉛、PCBなどの汚染例を初めとする環境汚染実態は、いまさらながらに驚くべきものである。北極圏200キロ上の人口28万の都市ノルリンスクを、著者は「ようこそ、地球上でもっとも汚染した地域に」と紹介している。

1994年にはジフテリアの大流行が起きた。不良品のソ連製ワクチン、ワクチン反対を唱えるおかしな免疫学説などで、ワクチン接種率はサハラ砂漠以南の地域以下に低下していた。

水道水の汚染も深刻となっている。塩素の供給不足と分配の問題が追い打ちをかけた。1995年にロシアの環境省は、国の半分の水道水は工場汚染や細菌汚染で安全ではなくなったと結論した。チフスの流行はこれを裏付けている。

1990年代初めの政治混乱では、多くの人が裁判を受けずに刑務所に入れられた。犯罪の増加も重なり、囚人の数は96年には50万人に達した。35台のベッドに対して140人が詰め込まれ、1人あたりのスペースは0.1平方メートルと、信じられない過密状態がもたらされた。夏に酸素不足による死亡者も出た。ここが結核の蔓延の場となった。旧ソ連時代、結核対策はしっかりしていた。しかし、現在では中途半端な抗生物質投与のみで、抗生物質耐性結核菌の増加を招くこととなった。

エイズもまた増加してきている。米国では1979年から99年までに人口の0.3-0.5%がエイズに感染したと考えられているが、ロシアでは20世紀おわりまでに、5%になると推定されている。大部分が薬物による感染である。

一方で科学者の頭脳流出ははげしく、1991年からの5年間で少なくとも15万人がロシアを離れた。平和な時代では世界の歴史上最大の数である。

最後の節の冒頭にレーニンの「何をなすべきか」という言葉とともに、この恐るべき状態への公衆衛生専門家の悩みが紹介されている。

第4章 無政府状態と階級差別を選択して

院内感染の深刻化の一例として、豊かな米国ですら病院に入院すると病室で感染を受けて、病気が重くなると指摘されている。1997年までに、平均的な病院に1晩以上過ごしたすべての患者の10%が、ウイルス以外の院内感染を受けている。アメリカでベストのエリート病院でも、ヴァンコマイシン耐性菌やMRSAの広がりを防ぐことは不可能である。19世紀終わりであれば、このような菌を持った患者を隔離することはできた。現在それは非合法であり説得するしかない。

公衆衛生は、病院が死んでいく人のための小屋にすぎない時代に生まれた。チフスが細菌により起こることが明らかにされた時代、チフス菌保菌者として島流しにあった女性「チフスのメリー」のような例があった。20世紀はじめには社会対個人の人権の問題が生じた。20世紀終わりには、振り子は人権に極端に傾いた。それまでの歴史的経緯が克明に語られている。

1930年代、全米で性病は不道徳として治療を拒否する政策がとられていた。アフリカ系アメリカ人では梅毒と淋病が高い発生を示した。1972年まで、黒人を対象とした有名なタスキジー実験が行われた。梅毒であることを告げずに治療せずにその経緯を観察した実験である。

第2次大戦後の経済発展で、国民全体の80%以上は郊外へ生活の場を移動した。白人の中流階級に見捨てられた都市は急速に荒廃していき、公衆衛生基盤は維持できなくなった。多数の移民とともに、ニューヨークは世界の各地との微生物の接点となった。

以上は、200ページに及ぶこの章なかのほんの一部のエピソードである。

社会や政治の視点も含めた米国、というより世界における公衆衛生の詳細な歴史ともいえる。

ワクチン開発による恩恵、抗生物質耐性菌出現の背景、在郷軍人病のような新興感染症、スリーマイル島での原子力事故など、多くの事例について公衆衛生にかかわる問題点が、歴代大統領の公衆衛生政策の功罪も含めて詳細に分析されている。

第5章 生物戦争

新刊書ケン・アリベックの「バイオハザード」(本講座)をはじめ、まだ和訳は出版されていないが、エド・レジスの「Biology of Doom」(本講座)など、バイオテロリズムについて、いくつかの本が出版されている。しかし、これらは生物兵器の研究の歴史が主体で、現在かかえている問題の本質についての洞察は乏しい。

本書では過去の歴史の紹介がもちろん行われているが、現在、そしてこれからの問題提起が中心になっている。

早い時点でバイオテロリズムの危険性を提唱しはじめた少数の人々が、当初はほとんど無視されていた。彼らとのインタビューにもとずいて今後とるべき道について、著者は提言している。
第6章 エピローグ
これはまさに地球規模での健康白書といえる。公衆衛生の破綻の現状をあらためて克明に描いた上で、著者は最後に次のように語っている。

生物兵器の攻撃、自然発生する流行いずれにせよ、国民の信頼の対象となるものはただひとつ、地域、国家、そして地球規模での公衆衛生基盤である、と。