74.中東呼吸器症候群(MERS)に対するベクターワクチン

74.中東呼吸器症候群(MERS)に対するベクターワクチン

MERSでは、DNAワクチンがサルで有効性を示したことがこれまでに報告されている(本連載68回)。今回、オランダ、エラスムス大学のアルバート・オスターハウス(Albert Osterhaus)を中心としたドイツ、スペインの合同研究グループはMERSに対するベクターワクチンのラクダでの試験成績をサイエンス速報(1)で発表した。

このワクチンは、ワクチニアウイルスMVA (modified vaccinia Ankara) 株をベクターとして、それに免疫源となるMERSコロナウイルスのSタンパク質を発現させたものである。MVA株は1950年代からニワトリ胚継代を行って弱毒化したワクチニアウイルスで、現在は、日本の備蓄ワクチンであるLC16m8ワクチンとともに、WHOの第3世代天然痘ワクチン(弱毒)として認められている(2)

MERSコロナウイルスの自然宿主としてはコウモリが疑われているが、人への感染は疫学的証拠からラクダを介して起きていると考えられている(本連載64回)。オスターハウスたちは、4頭のヒトコブラクダにベクターワクチンを鼻腔内への噴霧と頸の筋肉内に4週間間隔で2回接種し、そののち3週間後に高濃度(1000万感染単位)のMERSコロナウイルスを鼻腔内へ噴霧接種して攻撃した。ワクチンの代わりにベクターだけを接種した対照の4頭では、8-10日にかけて発熱と鼻水の排出が見られたが、ワクチンを接種したラクダでは症状は軽かった。鼻汁中のウイルス量は対照では1万-10万感染単位と高い値で、ワクチン接種ラクダでは1頭(1万感染単位)を除いて10感染単位以下と低かった。高い値の1頭は原因不明の理由でワクチンに反応していなかったと推測されている。

これらの結果、ワクチンは感染を完全に防ぐことは出来なかったが、鼻から排出されるウイルスをかなり抑えることが確認され、ラクダから人への感染を阻止すのに役立つことが期待されている。プレスレリーズで彼らは人での第1相臨床試験を計画していると述べている。

このワクチンのもうひとつの利点はラクダ痘の予防にも役立つ点である。原因のラクダポックスウイルスは1972年イランでラクダから分離されたもので、中東のラクダで天然痘のような病気を起こしている。自然界には、天然痘ウイルス、ラクダポックスウイルス、タテラポックスウイルスの3つがあり、これらは齧歯類に感染している共通の祖先ウイルスから分岐したことがゲノムの系統樹で明らかにされている(3)。そして、天然痘ワクチンはラクダ痘にも効果を示すのである。

なお、研究チームのリーダーのオスターハウスは、私の古い友人で、インフルエンザなど種々のウイルス分野で活躍している代表的ウイルス研究者である。サーズ(SARS)の発生の際には、サルでの感染実験で、コロナウイルスが原因であることを証明していた。さらにさかのぼると、ユトレヒト大学獣医学部の学生の際の研究テーマが猫コロナウイルスだった。コロナウイルスは彼の研究の出発点だった。

文献

1. Haagmans, B.L., van den Brand, J.M.A., Raj, V.S. et al.:
An orthopoxvirus-based vaccine reduces virus excretion after MERS-CoV infection in dromedary camels. Sciencexpress, 10.1126/science.aad1283. 17 December 2015.

2. WHO: Review of smallpox vaccines. Summary report on first, second and third generation smallpox vaccines. 2013.
http://www.who.int/immunization/sage/meetings/2013/november/2_Smallpox_vaccine_review_updated_11_10_13.pdf

3. 山内一也:近代医学の先駆者・ハンターとジェンナー. p. 14. 岩波書店、2015.