29.ワクチンによるウイルス感染症の根絶(2):天然痘の根絶 追加

「天然痘ワクチンからの雑菌の除去法」の項で、野口英世の雄牛の睾丸内に接種する方法を紹介し、実際に利用されることはなかった旨を述べましたが、ウサギ睾丸内接種で製造したワクチンが日本で実用化・販売されていたことが分かりました。(野口の論文では雄牛の睾丸内接種の前にウサギでの成績が述べられています。)
一般に日本での天然痘ワクチンの製造は伝染病研究所と北里研究所で行われていたと理解されてきました。今回、別の目的で大正時代のワクチン製造の状況を調べていた際に、明治39年(1906)に星一(ハジメ)が設立した製薬所(明治44年に星製薬株式会社となる)が大正5年(1916)に民間で最初のワクチン製造・販売を初めていたことを知りました。なお、星一は有名なSF作家の星新一の父親です。
そこの活動を紹介した資料として、星製薬細菌部技師・山田寿一著:「実用ワクシン療法及予防法:附・診断法」(新報知社、大正6年)を国会図書館近代デジタル・ライブラリーで見つけ、その中で野口英世の睾丸法による天然痘ワクチンの製造が行われていたことを初めて知ったのです。
ワクチン製造は星製薬細菌部で行われており、その製品にはさまざまな細菌ワクチンとともに天然痘ワクチンも含まれていました。細菌部の部長と推測されるのが坂上弘蔵医学博士で、彼は英国のアルムロス・ライト卿(Sir Almroth Wright)の所に留学して細菌学を学んで帰国していました。ライトは腸チフスワクチンの推進などから細菌学の第一人者とみなされていました。ペニシリンを発見したアレキサンダー・フレミング(Alexander Fleming)は彼の弟子です。
星製薬がワクシンの名称を用いた理由については、当時、ドイツ語のワクチンが広く用いられていたが、ライトに敬意を表して英語の読み方であるワクシンにしたと述べられています。
ところで、ウサギの睾丸で製造した天然痘ワクチンは、純粋痘苗の名称で販売されていました。その内容は現代用語に直すと以下のようにまとめることができます。
「ロックフェラー医学研究所野口英世博士の改良法にもとづき、ウサギの睾丸に痘苗を注射して増殖させたものを完全な無菌的処置のもとに製造した製品で、雑菌がないため、種痘を行ってもかゆみ、痛みなどない。高貴貴顕のご用に供するため、消毒した二重ガラス管に納めて特別包装してある。技術が複雑なため米国一の細菌学的製造部を持つマルボード会社でも発売できなかったもので、世界唯一の製品である。」
星一は野口が渡米直後フィラデルフィアのペンシルバニア大学で蛇毒の研究を行っていた時代に、同じ福島県出身で苦労を共にした親友の間柄であり、帰国してから星製薬の設立など事業に成功し野口を顧問にしていました。野口が日本に一時帰国する際、「金送れ」の電報で旅費を提供したことは有名な話です。そのような二人の関係から野口の研究成果を実用化したものと推測されます。