28.ワクチンによるウイルス感染症の根絶(1):はじめに

2011年は私にとって非常に意義深い年になります。この連載11回で取り上げ、また私の著書「史上最大の伝染病・牛疫—根絶までの4000年」(岩波書店、2009年)で取り上げた牛疫の世界的根絶宣言が今年の春に出されることになっているのです。これは1980年にWHOが宣言した天然痘根絶に次いで二番目に根絶される感染症になります(脚注)。この二つの偉業はワクチンにより達成されたもので、ワクチンの最大の成果です。
私の研究人生を振り返ると、1956年に北里研究所で最初のテーマとして取り組んだのは天然痘ワクチンの改良研究でした。そして私たちの改良天然痘ワクチンは実際にWHOの根絶計画の一部で用いられました。1965年からは国立予防衛生研究所(現・感染症研究所)に新設された麻疹ウイルス部で麻疹ワクチンの検定主任として麻疹ワクチンの検定基準作成から国家検定に約15年かかわり、同時に麻疹ウイルスのモデルとして牛疫ウイルスの研究に取り組みました。(麻疹ウイルスは牛疫ウイルスが人で進化して生まれたものと考えられています)。1979年東大医科研に移ってからは遺伝子組み換え技術を応用した耐熱性の組み換え牛疫ワクチンを開発しました。これは野外試験に移る前に牛疫根絶がほぼ達成されたため、実際に用いられることはなかったのですが、この研究を通じてFAOの専門家のひとりとして世界的牛疫根絶計画にも協力してきました。
私の半世紀にわたる研究人生は天然痘根絶のワクチンに始まり、牛疫根絶のワクチンで終わることになりました。ついでですが、天然痘と牛疫の根絶の両方にかかわった経験があるのは私だけです。
天然痘と牛疫のほかにワクチンによる根絶を目指した国際的計画が進められているのは、ポリオと麻疹です。麻疹ワクチンは私の重要な研究テーマの一つでした。ポリオワクチンでは研究や検定に用いられるサルの安全性確保の面から間接的にかかわってきました。そこで、根絶に成功した天然痘と牛疫、根絶を目指しているポリオと麻疹の4つのウイルス感染症について、私自身の経験も含めてワクチンの開発から根絶につながる背景を簡単にまとめてみようと思います。なお、ここで紹介する内容の一部は本連載13「ワクチン開発の歴史に学ぶ」で講演原稿とスライドを合わせて掲載してあります。

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脚注:ワクチンはウイルス感染症に対する最も有効な手段です。その成果は達成レベルにより3段階に分けられます。第1段階は制圧(control)でウイルス感染の発生頻度や激しさを無害なレベルにまで減少させた場合です。第2段階は排除(elimination)で、国内でのウイルス感染の発生は阻止できたが、国外から再び侵入するおそれがあるため、定期的ワクチン接種で予防を必要とする場合です。ポリオと麻疹(日本では2012年を目標)がこれに当てはまります。第3段階が根絶(eradication)で、ワクチン接種を中止してももはや感染が起こらない状態です。これが達成されたのは、天然痘と牛疫だけです。
なお、排除の段階は、家畜伝染病では清浄国に相当します。口蹄疫では、さらにワクチン接種清浄国とワクチン非接種清浄国に分けられています。前者は人の感染症の場合と同様に定期的ワクチン接種で侵入防止を行う国で、ワクチン非接種清浄国よりも貿易上の優位性が低くなります。そこで日本を含めてほとんどの先進国は定期的ワクチン接種は行っていない非接種清浄国です。ワクチン接種清浄国は本連載27で紹介したように、現在ウルグアイだけです。

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