123.麻疹は免疫記憶の喪失も招く

麻疹にはすぐれたワクチンがあるにもかかわらず、現在世界では、毎年700万人以上が感染し、100万人以上が死亡している。欧米では、とくにワクチン接種率が低下してきた結果、2018年と比較して300%以上増加している。

麻疹は激しい全身症状のほかに、免疫力の全般的な低下を起こす。これが分かったきっかけは、1908年にフォン・ピルケ(アレルギーの発見者)が、麻疹患者では、陽性だったツベルクリン反応が陰性になること確認したことだった。このツベルクリン反応の陰転は麻疹から回復したのち、1ヶ月くらいは続く。麻疹の症状がなくなっても、免疫力は低下したままで、その間は、ほかの病気にかかりやすい。

ところが、2015年にマイケル・ミナ(Michael Mina)らは、麻疹による免疫力の低下は、1ヶ月ではなく、はるかに長く、2年以上も続くという、驚くべき結果をサイエンス誌に発表した。彼らは、デンマーク、オランダ、イングランド、ウエールズ、米国で、子供の集団における麻疹の発生率と、ほかの病気による死亡率の相関を調べた結果、麻疹にかかったのち、約28ヶ月はよく相関していたが、それ以後は相関が見られないことを見いだした。そこで、麻疹感染後2,3年間は、免疫力の低下が続いて、ほかの病気による死亡が起こりやすくなるため、麻疹発生率と一般的な死亡率が相関すると説明した。

ミナらは、この推測の科学的根拠となる報告を、今年の9月1日発行のサイエンス誌に発表した。彼らはオランダで2013年の麻疹流行の際に感染した、麻疹ワクチン未接種の77名の子供の血液について、ヒトに感染するウイルス(400以上の種または株)と細菌の抗原タンパク質に対する抗体のレパートリーを調べた。その結果、これらの子供では、平均20%の抗体レパートリーが消失していて、最大で、70%も消失していた。種々の病原体に対する免疫記憶が失われていたという訳である。対象として調べた、麻疹ワクチンを接種した子供や成人では、このようなレパートリーの消失は見られなかった。

マカカ属サルに麻疹ウイルスを接種した実験でも、同様に抗体レパートリーの減少が確認された。

免疫記憶細胞には、麻疹ウイルスの受容体となるSLAMタンパク質が多量に発現している。麻疹に感染して3日ないし10日の間に、麻疹ウイルスは20―70%の免疫記憶T、B細胞に感染すると推測されている。抗体を産生するB細胞が、麻疹ウイルスに感染する結果、抗体が産生されなくなり、抗体レパートリーの減少を招いたと考えられる。ミナらは、これを麻疹による、免疫記憶喪失(immune amnesia)と呼んでいる。

一方、骨髄腫の治療のために、ガン溶解性麻疹ウイルスの静脈注射を受けた患者では、骨髄に麻疹ウイルスが感染することも見いだされている。骨髄には未成熟なB細胞が存在しているので、麻疹ウイルス感染は、成熟B細胞への分化も抑制していると考えられる。

麻疹にかかると、すでに存在していた免疫記憶細胞、さらに、あらたに分化してくる免疫細胞の産生も抑制されるという訳である。麻疹ワクチンは麻疹の予防だけでなく、免疫記憶喪失も防いでいることになる。

 

文献

山内一也:はしかの脅威と驚異.岩波書店、2017.
Mina, M.J. et al.: Long-term measles-induced immunomodulation increases overall childhood infectious disease mortality. Science, 348, 694-699, 2015.
Mina, M.J. et al.: Measles virus infection diminishes preexisting antibodies that offer protection from other pathogens. Science, 366, 599-606, 2019.