122.イノシシ用の豚コレラワクチンのルーツは日中戦争時代に日本が設立した華北産業研究所

本連載120回で、牛疫のヒツジ順化ワクチンと豚コレラワクチンC株が奉天獣疫研究所(奉天獣研)の遺産ではないかと述べた。牛疫ワクチンについては、奉天獣研の氏家八良による記録から、北京の華北産業科学研究所で植え継がれていた中村ワクチンを順化したことが明らかになっているが、豚コレラワクチンについては、資料が少なく、推測の域をでなかった。豚コレラワクチンの開発の出発点も、同じ華北産業科学研究所だったことを示す記述が見つかった。

C株ワクチンについて、これまでに分かっていた点をまず整理してみる。C株ワクチンは1956年、中国獣医薬品観察所とハルビン獣医研究所により開発され、ウサギで少なくとも480代継代されたものと記述されている(1)。1957から58年にかけて、ウサギ350代のC株ワクチンが正式に、ソ連、ハンガリー、ブルガリア、北朝鮮、ルーマニア、ベトナムに輸出された(2)。継代数に大きな差がみられるが、その理由は分からない。

本連載119回で述べたように、C株ワクチンは各国で継代され、さまざまな名前がつけられている。イノシシ用のワクチンは、ドイツのフリードリヒ・レフラー研究所で継代されたリームス株から作られている。この研究所は東ドイツのバルト海の沿岸の島Insel Riemsにある。私は、1998年レフラーによる口蹄疫ウイルス発見を記念したウイルス発見100年記念行事がグライスフェルト大学で開かれた際にこの研究所を訪れたことがある。江ノ島のように、対岸のグライスフェルト市と橋でつながっている。

私の疑問は、C株ワクチンの開発はどこで始まったかという点だった。中村稕治の牛疫ワクチンは週1回の割合でウサギ継代されて作出されたものである。豚コレラワクチン開発も同様のスケジュールで行われたとすると、1950年から活動を開始したハルビン獣医研究所では、1956年までの7年間にはとても480代にならない。ハルビン獣医研究所で氏家八良らがヒツジ順化に用いた牛疫ワクチンは、本連載120回で述べたように、北京の華北産業科学研究所で植え継がれていたので、豚コレラワクチン開発もこの研究所ではないかと考え、華北産業科学研究所の業務内容を調査した。

華北産業科学研究所は昭和11年(1936)、日中戦争の最中、日本政府が占領した華北地域での農業資源の確保のために、北京に設立したものだった。主に、農事試験場としてほとんどは作物などに関する事業を行っていたが、家畜防疫科で家畜伝染病対策も行っていた (3)。ここの昭和18年(1943)の報告書に「豚コレラ病毒の家兎に対する感染試験」として、「病毒の家兎累代通過の可能性を究明せんが為に本試験を実施し、目下続行中なり」との記述があった(4)

この研究所での家畜伝染病に関する主な業務は、中村稕治のウサギ順化牛疫ワクチンによる接種と、補体結合試験による牛疫診断であった。豚コレラについても、補体結合試験の応用が試みられていた。豚コレラウイルスのウサギ継代が牛疫にならって始められたことは間違いない。なお、昭和17年までの報告書には、豚コレラについての記述はなく、豚コレラについての仕事は昭和17年に開始されたらしい(3)

終戦により、華北産業科学研究所は国民軍と米軍に接収され、国民軍が撤退したのち、中国共産党による政府の施設として用いられた。ハルビン獣医研究所の所長は北京から派遣された陳凌風で、彼女が華北産業科学研究所から中村ワクチンとともに、継代中の豚コレラウイルスも、ウサギに接種してハルビンに持ち込んだものと考えられる。冷蔵輸送が不可能だった時代、ウイルスの輸送は、感染動物を運び屋としていた。中村ワクチンはウサギに接種して、潜伏期中に輸送し、現地で感染臓器を採取してワクチンとしていた。同様に、豚コレラウイルスを接種したウサギが運ばれたことは間違いないだろう。

1957年には中国農業科学院が設立され、ハルビン獣医研究所もその傘下に入っている。共同開発組織として論文に名前が載っている獣医薬品観察所は、1952年北京に設立されたものであり、直接、継代に関わっていたことは考えがたい。おそらく、ワクチンとしての品質の確認の面で協力したのではなかろうか。

日本の統治時代の朝鮮総督府獣疫血清製造所で開発された中村ワクチンが、占領下の北京での豚コレラウイルスのウサギ順化につながり、これがハルビン獣医研究所で奉天獣研豚コレラ室の元職員の協力でC株豚コレラワクチンとして完成したといえよう。

 

1. Luo, Y., Li, Y. & Qiu, H.J: Classical swine fever in China: A minireview. Vet. Microbiol. (2014) http://dx.doi.org/10.1016/j.vetmic.2014.04.004
2. Xia, H., Wahlberg, N., Qiu, H.J. et al. : Lack of phylogenetic evidence that the Shimen strain is the parental strain of the lapinized Chinese strain (C-strain) vaccine against classical swine fever. Arch. Virol.156,1041-1044,2011.
3. 山本晴彦:帝国日本の農業試験研究. 華北産業科学研究所・華北農事試験場の展開と終焉。農林統計出版、2015.
4. 民国32年度業務功程。華北産業科学研究所・華北農事試験場、昭和18年. 国立国会図書館近代デジタルライブラリー.