105.天然痘ウイルスは16世紀終わりに出現した:ミイラから分離した天然痘ウイルスのゲノムの解読

天然痘は人類史上もっとも大きな被害を与えてきた。1980年にWHOにより根絶が宣言され、天然痘ウイルスは現在、米国アトランタのCDCとロシアのノボシビルスクの国立ウイルス学・バイオテクノロジー・科学センター(通称ヴェクトル)の2箇所に厳重に保管されている。

しかし、天然痘ウイルスは野生動物のウイルスが、6000年ないし1万年前に農耕が始まって多数の人間が定住するようになってから、ヒトの間で広がっているうちに、ヒトにだけ感染するように進化したものと推定されている。もとの野生動物のウイルスは現在も存在していると考えられ、ふたたび、天然痘ウイルスが生まれる可能性があるかもしれないことから、天然痘ウイルスがいつ、どこで、どの動物から生まれたか、天然痘ウイルスの起源に関心が寄せられている。

天然痘ウイルスに近縁のウイルスには、ラクダポックスウイルスとタテラポックスウイルスがある。ラクダポックスウイルスは、イランで1972年にラクダから分離された。タテラポックウイルスは、1968年に西アフリカのダホメ(現・ベナン共和国)北部で、タテラ属のアレチネズミから分離された。タテラポックスウイルスはネズミで病気を起こす証拠はないが、天然痘ウイルスとラクダポックスウイルスは、それぞれヒトとラクダに高い致死性を示すことから、この2つのウイルスが生まれるには、感受性宿主が高い密度で存在していることが必要だったと考えられる。

104回で簡単に触れたが、牛痘ウイルスのゲノムがもっとも大きくて、ワクチニアウイルスが続き、天然痘ウイルスはもっとも小さい。そのため、牛痘ウイルスから徐々に遺伝子が脱落して天然痘ウイルスになったと推測されている。ロシアのIgor BabkinとIrene Babkinaは、ウイルスゲノムの中央領域の配列が遺伝的に安定で変異が少ないことから、この領域の配列にもとづいて系統樹を構築した。そして、ラクダポックスウイルス、タテラポックスウイルス、天然痘ウイルスの3つがほぼ同時に、同じ祖先ウイルスから分岐したと推定されることを2015年に報告している。牛痘ウイルスは、名前とは異なり齧歯類が保有するウイルスであるが、それ以前に分岐していた。この結果から、彼らは、おそらく齧歯類に感染している牛痘ウイルスに似たウイルスが共通の祖先と推測している。牛痘類似ウイルスから天然痘ウイルスなどが分かれた時期は、ゲノム中央部の保存領域での進化速度を1年間に100万塩基のうちの2塩基と仮定して、3000年から4000年前と推定した。

タテラポックスに唯一感受性を持つ齧歯類は、西アフリカからエチオピアにかけて生息するアレチネズミのひとつである。家畜化されたラクダがアフリカに導入されたのは3500年から4500年前だった。この時代にそれぞれのウイルス宿主であるアレチネズミ、ラクダ、ヒトが遭遇できたのは、アフリカの角と呼ばれるアフリカ大陸南東端の地域と推定された。このような考察から、Babkinらは、この地域から天然痘ウイルスが出現したのではないかと考えている。

ところが、2016年12月、17世紀半ばに死亡した子どものミイラについての研究から、天然痘ウイルスが生まれたのは3000年も前ではなく、ごく最近という報告が発表された。この発見は偶然から生まれたもので、リトアニアとフィンランドの研究チームが、リトアニアの首都ヴィルニュスのドミニカン教会の地下室に保存されていた推定2〜4歳の性別不明の子どものミイラから組織サンプルを採取し、カナダ・マクマスター大学古代DNAセンター長のHendrik Poinarに送ったのがきっかけになって、思いがけない結果が得られたのである。

放射性炭素からの推定で、この子どもは1643年から1665年に死亡したと考えられた。この時期、ヨーロッパでは天然痘の発生が数回記録されている。このミイラには瘢痕は見られなかったが、ポスドクのAna DugganがDNAを解析したところ、驚いたことに天然痘ウイルスの遺伝子断片が検出された。そこで、断片をつなぎ合わせて天然痘ウイルスの大まかなゲノムを構築した。

ゲノムの塩基配列は、20世紀に分離された天然痘ウイルスとほとんど同じだった。これまでに天然痘ウイルスの進化速度は、1944年から1977年までの約30年間における塩基配列の変異から推定されていたが、今度は、300年間における進化速度が推定された。その結果、進化速度は、1年あたり100万塩基中の約9塩基の置換と推定された。この進化速度から計算して、天然痘ウイルスは、1588年から1645年前に共通の祖先から生まれたと推定された。これは大航海と植民地化によりウイルスが拡散した時期に相当する。しかし、ジェンナーの種痘が最初に行われた1796年よりも前になる。

天然痘ウイルスには、大痘瘡ウイルスと小痘瘡ウイルスの2種類がある。前者は30%に達する致死率で、歴史に残る大きな被害を及ぼしてきたのは、前者と考えられている。小痘瘡ウイルスは1%以下の致死率で多くは軽症にとどまる。天然痘ウイルス48株のゲノムの塩基配列にもとづく系統樹では、2つの系統群(クレード)に分けられており、系統群1には大痘瘡ウイルス由来のものが含まれ、系統群2には、西アフリカでの分離ウイルスと小痘瘡ウイルスが含まれる。ミイラのウイルスはこの2つの系統群より前に出現していた。2つの系統群に分かれたのは、ごく最近の出来事で19世紀の終わりから20世紀の初めと考えられたのである。これは、世界中に種痘が普及していった時代で、種痘による免疫が小痘瘡ウイルスを生む原因に関わっていたのかもしれない。

これまで、紀元前1157年に死亡したファラオ・ラムセス5世のミイラに見られる膿疱が天然痘のもっとも古い証拠とみなされてきた。3000年とされてきた天然痘ウイルスの歴史は、新たに見つかったミイラのゲノム解析で、わずか400年前になったのである。ファラオのミイラに見られた瘢痕は、天然痘ではなく、水痘によるものと疑われている。水痘はヘルペスウイルスであって、生物進化とともに受け継がれてきており、人類も誕生した時から感染していた。

リトアニアのミイラに続いて、2017年9月には、プラハにあるチェコ国立博物館が所蔵している“天然痘”というラベルが貼られた2つの組織についての天然痘ウイルスの全ゲノム配列の解読結果が報告された。1つは、推定60年前の子どもの前腕部と足で、一面に発疹が見られた。もうひとつは、推定160年前の皮膚片で多数の明瞭な発疹が見られた。

電子顕微鏡では典型的なポックスウイルス粒子が観察された。ゲノムの解析では、60年前のサンプルは系統群1で、おそらく当時流行していたインドから持ち込まれたものと推定された。160年前のサンプルは系統群2であった。リトアニアのミイラの場合と同様に、系統群2は19世紀半ばにすでにヨーロッパで流行していたことがうかがえる。

104回で紹介したように、天然痘ウイルスの人工合成は技術的には可能になっている。天然痘ウイルスの遺伝子の取り扱いは、バイオセキュリティの面からWHOが規制しており、リトアニアとチェコのサンプルについての実験と論文発表はいずれも、WHO天然痘研究諮問委員会に承認を受けて行われた。

野生動物が保有する祖先ウイルスからの天然痘ウイルスの再出現、ウイルスの人工合成、厳重保管されているウイルスの盗難と、天然痘は根絶されても、天然痘ウイルスの潜在的危険性は残っているのである。

参考文献

山内一也:近代医学の先駆者・ハンターとジェンナー。岩波書店、2015。

Babkin, I. V. & Babkina, I.N.: The origin of the variola virus. Viruses 2015, 7, 1100-1112; doi:10.3390/v7031100

Duggan, A.T., Perdomo, M.F., Piombino-Mascali, D. et al.: 17th century variola virus reveals the recent history of smallpox. Curr. Biol., 26, 3407–3412, 2016.

Pajer, P., Dresler, J., Kabíckova, H. et al.: Characterization of two historic smallpox specimens from a Czech museum. Viruses 2017, 9, 200; doi:10.3390/v9080200.