102.新刊書「はしかの脅威と驚異」

表記の本を岩波書店から出版しました。
「はじめに」の部分を転載します。

はしかの脅威と驚異

表紙写真

 

はじめに

麻疹(はしか)はほとんどすべての人が感染していたウイルス病で、多くの人命を奪ってきた。古書の記述などから四世紀頃には発生していたと推測されるが、産業革命以後のヨーロッパで常在するようになった。一方、大航海時代が始まって、それまで麻疹が存在していなかった米大陸へ麻疹が持ち込まれ、急速に広がった。
麻疹に対する免疫がまったく存在しない地域で、麻疹は大きな被害をもたらした。一七一三年、ボストンで発生した麻疹の流行の状況や、一八七五年、南太平洋のフィジーでの麻疹が人々に与えた恐怖は、現在のエボラそのものであった。
日本へは奈良時代に、中国大陸から持ち込まれていたと推測される。幼い子供を持つ親にとって、麻疹は恐ろしい病気であった。江戸時代「疱瘡(天然痘)は見目定め、麻疹は命定め」という諺があった。天然痘はあばたを残すために器量が悪くなり、麻疹は命を危機にさらすという意味である。当時、生まれた子供のうち、半分が育てばよいとされていた。「七つまでは神の子」という言い伝えがあるが、数え年、七歳になって初めて人間社会の一員と認められていた。私が生まれた昭和一桁の時代でも、乳幼児の高い死亡のために、三歳になってから出生届を出している地域もあった。麻疹は、乳幼児の死亡の重要な原因のひとつだったのである。
一方で、麻疹は、普通に見られる病気で、二,三週間もすれば回復し、天然痘のようなあばたは残さないため、軽んじられることも多かった。シェイクスピアは戯曲コリオレーナス(一六〇六)で「あいつら麻疹、我々が軽蔑している(those measles, which we disdane)」と呼んでいた。南北戦争の時代を舞台にした『風とともに去りぬ』(一九三六)でスカーレット・オハラは、彼女の夫、チャールズ・ハミルトンが北軍との戦に出る前に、キャンプで麻疹のために、おめおめと死んでしまったことを「勇敢にたたかって花と散ってくれたのなら、自慢もできただろうに」**と嘆いている。日本でも麻疹はかかって当たり前とされることが多く、明治新政府の伝染病予防規則(現在の感染症予防法の前身)に、麻疹は含まれていなかった。

第三幕第一場での元老院議員1に対するコリオレーナスのせりふ。小田島雄志訳『コリオレーナス』(白水社、1983)では、「かさぶた野郎」と訳されている。しかし、麻疹ではかさぶたはできない。おそらく天然痘と混同したものと思われる。
**ミッチェル(大久保康雄、竹内道之助訳)『風と共に去りぬ』1巻138頁、河出書房新社、1989。

現在は、麻疹ワクチンが普及し、先進国での麻疹発生は、海外から輸入されるウイルスによる場合に限られてきた。しかし、発展途上国では、いまだに重要な病気である。二〇一五年には四二万人、二〇一六年には二十八万人を越える患者の発生が世界保健機関(WHO)に報告されている。
麻疹ウイルスは、発疹と発熱を伴う急性のウイルス病を引き起こすだけではない。一〇万人にひとり、麻疹から回復後、数年間にわたって麻疹ウイルスが脳の中に潜んでいて、小学校低学年の頃にSSPE(亜急性硬化性全脳炎)という神経難病を起こすことがある。麻疹ワクチンにより、SSPE患者の発生は減少してきているものの、現在、日本には一〇〇名を超す患者がいると推定されている。麻疹ウイルスが原因ということは分かっても、治療法はなく、死にいたる悲惨な病気である。
一九八〇年代終わりに、麻疹・ムンプス・風疹(MMR)ワクチンの接種が開始された英国では、麻疹ウイルスは、まったく予想もしなかった理屈で、自閉症の原因に結びつけられた。この説は科学的に否定されているが、米国では、自閉症のワクチン原因説に発展してきている。この説を支持するトランプ大統領の就任により、米国では今後、ワクチン接種計画をめぐる論争が拡大することも予想される。
麻疹に伴う発熱、発疹といった症状や、SSPEでの神経細胞の破壊などは、麻疹ウイルスが体のさまざまな細胞の機能を破壊するために起こる。そこで、この悪玉ウイルスとしての細胞破壊能力を逆に利用して、癌細胞を溶かそうという新しい治療法の研究が、この一〇年あまりの間に急速に進展している。麻疹ウイルス新時代の幕開けともいえる。