第40回集団遺伝学講座

安田徳一{YASUDA,Norikazu}



ボックス 18 逆引き暗号表補遺

第38回講座で逆引き暗号表は私が最初であると書くきましたが、すでに発表されていました(Liu 1998)。ただし、アミノ酸をアルファベット順でならべてありましたので、ここではコドン同義の数別に並べ換えて掲げます。そこで、二つの暗号表を区別するために、第38回講座の表は(簡約)逆引き暗号表と呼び、ここで示すのは(詳細)逆引き暗号表とします。

(詳細)逆引き暗号表






(計)
1) 

アミノ酸 RNA
コドン(5'→3')
3



1



 1 メチオニン Met M AUG2)
 1 (2) トリプトファン Trp W UGG
         
 2 アスパラギン酸 Asp D GAU, GAC
 2 アスパラギン Asn N AAU, AAC
 2 システイン Cys C UGU, UGC
 2 グルタミン酸 Glu E GAA, GAG
 2 グルタミン Gln Q CAA, CAG
 2 ヒスチジン His H CAU, CAC
 2 リジン Lys K AAA, AAG
 2 フェニールアラニン Phe F UUU, UUC
 2 (9) チロシン Tyr Y UAU, UAC
         
 3 (1) イソロイシン Ile I AUU, AUC, AUA
         
 4 アラニン Ala A GCU, GCC, GCA, GCG
 4 グリシン Gly G GGU, GGC, GGA, GGG
 4 プロリン Pro P CCU, CCC, CCA, CCG
 4 トレオニン Thr T ACU, ACC, ACA, ACG
 4 (5) バリン Val V GUU, GUC, GUA, GUG
         
 6 アルギニン Arg R CGU, CGC, CGA, CGG, AGA, AGG
 6 ロイシン Leu L UUA, UUG, CUU, CUC, CUA, CUG
 6 (3) セリン Ser S UCU, UCC, UCA, UCG, AUG, AGC
   (20)        
 3 終止コドン Term * UAA, UGA, UAG

1)同義コドンの数が等しいアミノ酸の種類数

2)コドンAUGは5'末端では翻訳開始のシグナル、コード配列の途中ではメチオニンに翻訳される。

 

18.3. 進化と自然選択natural selection

進化の機構を考えるとき、自然選択は避けて通ることのできない基本の考えであり、中立説も選択との対比で考察しない限り皮相的に過ぎなくなる。本節では簡単に自然選択について考えてみることにする。

自然選択についての考察はダーウイン(Darwin 1859)の「種の起源」が原点である。特に第4章 自然選択の最初のパラグラフにそれがみられる。ダーウインは生物進化の主要因は自然選択(淘汰)にあるとし、飼育栽培での動植物の改良にあたり、人為選抜(淘汰)が顕著な成果をあげることに注目してこの本の主体である選択を考察した。

「人間にとって有用な変異が確かに起こることがみられるのであるから、各生物にとって巨大で複雑な生活のたたかいのためになんらか役だつ他の変異が、数千世代をかさねるあいだに、ときどきおこるとは考えられないであろうか。そもそも、そうしたことが起こるとすれば、ではわれわれは、たとえ軽微ではあっても他のものにたいしてなんらか利点となるものをもつ個体は、生存の機会と、同類をふやす機会とに、もっとめぐまれるであろうとは、考えることができないであろうか。他方、ごくわずかの程度にでも有害な変異は、厳重に捨て去られていくことも、たしかであるように考えられる。このような、有利な変異の保存と有害な変異の棄却とを、私は<自然選択>とよぶのである。有用でもなく有害でもない変異は、自然選択の作用をうけず、不定的な要素としてのこされるであろう。このことは、たぶん、多型的とよばれる種において、みられるであろう。」(八杉竜一訳、上、108頁)。ダーウインが中立遺伝子を‘不定的な要素’として存在を認めていたことは興味深い。有利な遺伝子が必ずしも固定するものではないことはすでに第39回講義で述べた。

自然選択の作用によって生物は時とともに環境に適するように改善されてきたと主張し、現在でも生物の適応現象を科学的に説明する唯一の学説である。

大事なことはダーウインのいう淘汰は(適応度という)個体間の生存力や妊性の相違があってはじめて働くということである。

初期の集団遺伝学は自然選択説の定量化に向けられていたといっても過言ではない。集団内で異なった遺伝子型の個体の間で、次の世代に寄与する子どもの数に差があれば、遺伝子型レベルで自然選択が働いているといえるが、その作用はじつに千差万別である。そこで自然選択の作用を統一的に理解するための、いろいろな分類法やそれに伴う考え方があらわれ。

第一に選択には、正と負の二つが考えられる。正の選択は、集団中に生存力や妊性を高める突然変異が出現したとき、その遺伝子を持った個体は、持たない個体に比べて多くの子どもを残す機会が多くなる。したがって、この突然変異遺伝子の集団中における頻度はその頻度を増して、集団中に広まる機会がでてくる。これを決定論的な過程としてみたときの原因がダーウインの自然選択説の根幹となる選択作用で、「ダーウイン選択」ともいう。

一方、負の選択は、集団中に有害な突然変異遺伝子が出現すると、その遺伝子を持った個体の生存力や妊性は損なわれ、したがってその遺伝子は集団から除去されることになる。

正の選択作用は適応進化の基礎として最も重要な機構の一つであるが、多くの場合単なる推測でしかない。実際に遺伝学的に実例として報告されているのは、ガの工業暗化の例で黒色型遺伝子の増加、農薬の連続使用に伴う抵抗性遺伝子の増加など、ほんのわずかでしかない。しかし、ガの工業暗化については最近、ガの黒色化と工業による煤煙の増加との因果関係が必ずしも明確でないという(Sargent他 1998)。一方、負の選択は、突然変異の本質とも関連して、多くのことが明らかとなってきている。特にショウジョウバエ集団での劣性致死突然変異や弱有害遺伝子の研究(例、Mukai 1978)に目覚ましいものがある。

とにかく、遺伝子型と選択とをはっきり関連づけることは通常容易でない。特に連続変異をする量的形質、例えば身長、体重などでは、これはもうほとんど不可能に近い。そこで選択を表現型レベルで分類して論じることになる。マザー(Mather 1953)によれば、選択には安定化選択stabilizing selection、方向性選択directional selection、分断性選択disruptive selectionの三つに分けられる。

安定化選択は、量的形質では最もふつうに存在すると考えられている自然選択の様式で、集団平均に相当する個体の適応度が最も高く、それから正または負の方向に隔たるにともない個体の適応度が低下する。よく挙げられる実例として、新生児の出産時体重と生後1ヶ月以内の死亡率との関係である(Karn & Penrose 1951)。生後1ヶ月以内の死亡率は中間的な体重のものとくらべて、極端に軽いものや極端に重いものは高かった。なお興味あることは死亡率の最も低い体重(最適体重)は体重の集団平均より若干重かった。安定化選択は極端な個体を集団から除去する選択である。表現型的に極端な個体は、突然変異遺伝子を多く持っている可能性があり、突然変異による集団変異の増大と両極端を除去する選択とが釣り合って、集団の遺伝的構成は一定に保たれていると考えることができる。安定化選択は現状維持的な役割を果たしているともいえる。安定化選択は、正常化選択 normalizing selection、求心的選択centripetal selectionということがある。

定方向性選択は、量的形質の平均値が最適値と違うときに働く。この場合、集団平均値は最適値に向かって変化していく。前出の出産時体重で、最適体重が平均体重より若干重い事実はこのような選択が働いているとも考えられるが、安定化選択との関り合いが今一つよくわからない。もし自然界で、種の置かれた環境が急変し、今まで平均値と最適値とが一致していたのが、別の値となったとすれば、当然定方向性選択が働くことになる。

分断性選択は、一つの集団で毎世代最適値が二つ以上ある場合にみられる選択である。自然の状態では一つの集団をとりまく環境が多様で、そのうちにいろいろな生態的条件があり、二つ以上の表現型が別々の生態的条件に適応していれば分断性選択は起こり得る。

いずれのタイプの選択にしろ、表現型レベルで選択があるからといって、必ずしも遺伝子型レベルで選択が働いているとは限らない。たとえば、純系内の個体変異のように、個体間の変異がすべて環境の影響で起きたものなら、表現型に対してどんな強い選択を加えても次世代には何の影響も及ぼさない。

その他選択には、かたい選択hard selectionとやわらかい選択soft selectionという考えがある。量的形質で切端選択truncated selectionのモデルで考察してみよう。表現型値が集団内である値(しきい値あるいは切端点ともいう)を越えた個体は生存し、子どもをつくるが、切端点以下の個体は選択されるとする。かたい選択では切端点は不動で、したがって分布が全体として右に移動すれば次の世代に寄与する個体数が増し、逆になんらかの理由で分布が左に動けば、そのような個体は少なくなる。それぞれの場合で、選択強度は変化することになる。逆に病気に罹り易さ(罹病性)がある切端点より大きいと、先天性奇形や成人病などのいわゆる多因子病に罹るとして、その遺伝力の計算を求める方法があるが、それにもこの考え方が用いられている(Falconer 1965)。これに対して、切端点が自由に動き、次の世代に寄与する個体数が毎世代一定となるように、なんらかの機構で調節されるならば、たとえ分布が移動しても集団の淘汰強度は変わらない。これがやわらかい選択である。最近ショウジョウバエの熱ショックタンパク質のhsp90の対立突然変異遺伝子の数により、この切端点が動くことを示唆する報告がある(Rutherford & Lindquist 1998)。

この他にもいろいろなタイプの選択が考えられるし、提案もされているが、それらの強度を自然集団で実際に観測したり、さらには個体あたりの選択強度を、何千何百万とある遺伝子座や、さらには何十億とあるDNA塩基部位の一つ一つにその強度がどの位ずつ配分されるかを解明するのには、理論的にもまだまだ数多くの問題が残されている。

18.4. 分子進化中立説

ダーウインは生物の形態観察から、自然選択に有利な個体が進化した、と考えた。遺伝の機構がまったく未知の状況で得た解釈であった。新しい変異は遺伝子突然変異で生じるとみる今日、自然選択に有利な個体は有利な突然変異が生じることによるとするのが、ごく常識的な理解であろう。個体にそのような突然変異遺伝子が蓄積する過程が進化の原動力であるとするのがダーウイン流の自然選択説である。これに対して、分子のレベルでは選択に中立な突然変異が偶然による(突然変異)遺伝子頻度の機会的浮動により、大部分は消失するが固定により遺伝子置換した座位の蓄積が進化のおもな要因である、と考える(Kimura 1968; King & Jukes 1969)。機会的浮動は遺伝子頻度の分散で定量化されるから、分散が大きいすなわち集団の有効な大きさが小さいほど、遺伝子の置換は速くなる。

キングとジュークスは非ダーウイン進化non-Darwinian evolutionとして分子進化のデータから分子進化を説明したのであったが、木村の中立説はそれと同時に分子レベルの種内変異の保有機構をも同時に説明する意図を持っていた。前出したように、ダーウインは「種の起源」で、有利でも不利でもない遺伝子は不安定的(過渡的?)で多型を示すと推論している。

ここで、集団内で観察された遺伝的多型について述べることにする。1966年頃から電気泳動法によりタンパク質、とくにイソ酵素の変異を検出する方法が開発されて、自然集団の多くの個体について分子レベルでの遺伝子の変異が研究されるようになった。その中でもヒト集団(Harris 1966)、とウスグロショウジョウバエDrosophila pseudoobscuraの調査(Lewontin & Hubby 1966)は注目された。ハリスはヒトの血液酵素に関する10個の遺伝子座を調べたところ、そのうち30%が多型的で、平均のヘテロ接合性の頻度は約10%という結果を得た。ウスグロショウジョウバエの自然集団で調べた18の酵素遺伝子座で、平均のヘテロ接合性の頻度は約12%、多型的な座位の割合は約30%であった。ここで多型的polymorphicとは同じ種で2種類以上の対立遺伝子が共存する現象で、厳密には1つの対立遺伝子の頻度が99%より大きくないとする。最も高い頻度の対立遺伝子が99%以上で他の対立遺伝子の合計の頻度が1%以下のときはその座位は多型であるとはいわない。

ヒトのゲノムには合計約70,000の遺伝子座がある(Fields他 1994)と推定されているから、この割合でいくと個体あたりのヘテロな遺伝子座の総数は7,000にもおよぶことになる。電気泳動法で検出される変異はアミノ酸の置換の全部ではなく、その約1/3と考えられる。さらにアミノ酸に起こさせない塩基の置換(同義置換)もあることを考えると、ヒトゲノムを構成する約30億の塩基部位のうち、1,000万以上あるいは1,000塩基部位に3程度の割合で個体あたりヘテロの状態であると推測される。最近、ヒトのコード領域での単一塩基多型single nucleotide polymoprphisms(SNPs)の直接調査から、346塩基部位あたり1という観測値が得られている(Cargill他 1999)。

かって電気泳動法によるヘテロ接合の頻度データが、ヒト、マウス、カブトガニ、ショウジョウバエの一部の種で調べられたとき、平均のヘテロ接合性の頻度が5%〜19%の範囲だあるとされた。しかし、平均のヘテロ接合性の頻度は、大型の哺乳動物では一般にきわめて低く、チーター、ゾウアザラシなどではほよんど0%の観察値がえられている(O'Brien他 1983, Bonnel & Selander 1974)。びん首効果(あるいは創始者効果)があったのであろうか。

中立説では、分子レベルで検出される多型変異は自然選択に中立またはそれに近い遺伝子が、突然変異による新生と遺伝的浮動による偶然の消失との釣合いで、集団に維持されていると考えられる。ごくまれには偶然に固定するほぼ中立な遺伝子もある。換言すれば、多型は遺伝的浮動で進行する分子進化の一面である(Kimura & Ohta 1971)。

一方、自然選択説は、これらの多型的な変異は主にヘテロ個体の有利性という平衡選択によって集団中に維持されるもので、突然変異と遺伝的浮動の結果ではない(木村 1984)。生物の多様性の機構として平衡選択を取り挙げる考えはダーウイン(1859)は触れていない。

18.4.1.中立説を支持する観察データ

タンパク質

1970年代の後半から10年間ほどで、特に注目される観察データはタンパク質で突然変異による置換率であらわした進化速度が一様なこと、機能的な制約が少ないと考えられる分子または分子の一部の進化速度が、そうでないものより速いことである。

一様性:ヘモグロビンのα鎖を一例として説明しよう。第38回講座18.1.3節で説明したように、脊椎動物の各種系統でのアミノ酸の置換率は、ヘモグロビンα鎖で、1年あたりほぼ10-9の速度である。多少の相違があるが、この速度は表現型で観察される進化速度に比べると驚くほど一定である。例えば、ヒトとコイが共通の祖先(魚)から4億年ほど以前に分岐した後に、現在までに蓄積した突然変異の数を推定すると、共通の祖先から現在のヒトにいたる進化の過程とコイへの過程とでほぼ同じ値が得られる。これに対して、表現型レベルでの進化は対照的で、ヒトは体制の上でめざましい変化を遂げているのに、コイは4億年近くもの間体制の上で魚のままである。木村(Kimura 1969)はいわゆる「生きた化石」の遺伝子も、表現型が急速に変化した生物の遺伝子も、分子レベルでは進化の過程でほぼ同じ速度でDNAの塩基の置換を行なわれていると予測した。この予測は、その後正しいことが実際に立証されている。分子レベルでも突然変異の置換が正の選択によるなら、環境条件の変化などの諸条件に左右されて、各種生物の系統で分子レベルでも進化速度は非常な相違があってもおかしくない。

機能的に制約の少ない分子ほど進化速度が大きい:顕著な例としてフィブリノペプチドA, Bが挙げられる。この分子は血液凝固にあたってフィブリノーゲンからフィブリンができるときに放出される部分で、それが切り離された後はほとんど機能はないと考えられる。進化の速度はヘモグロビンの数倍であり、現在知られている最大値である。

別に興味深い例としてプロインスリンがある。この分子は三つの部分A、B、Cで構成されるが、中央の約1/3を占めるCはDNAからRNAへの転写後インスリンができるときに切り離されて、AとBとが結合して活性のあるインスリン分子となる。インスリン(A, B)については、進化におけるアミノ酸置換率は1年あたりkaa=0.4x10-9であるが、切り離される部分Cにおけるアミノ酸置換率はkaa=2.4x10-9と6倍の速さである。

また、ヘモグロビンα鎖およびβ鎖は同じような三次元構造をしているが、ともに分子の外表面の部分は機能的にも分子の構造を保つ上でも、あまり重要ではない。これに対して内部のヘムとその周辺は、この分子の機能の上で最も重要な部分である。進化におけるアミノ酸の置換率を調べると、α鎖もβ鎖も表面のアミノ酸部位ではヘムとその周辺に比べてアミノ酸の置換率は約10倍の高い値を示す(Kimura & Ohta 1973)。

DNA塩基

同義置換の方が非同義置換より速度がはやい:DNAの塩基配列が直接日常的に調べられるようになり、興味ある事実が知られてきた。アミノ酸の変化が起こらない塩基の置換(同義置換synonymous substitution)が進化の過程で非常に速く起こっている。逆引き暗号表からもわかるように、これはコドンの第3塩基の置換の大部分に相当する。

生物のからだをつくり、その生命を維持するのに基本的な役割を担う分子はタンパク質で、その機能はその立体的構造によるが、これはアミノ酸配列で決まると考えられているから、DNA塩基の置換でアミノ酸に変化を起こす(非同義置換non-synonymous substitution)ものは、同義置換より表現型に対して通常より大きな影響を与える。自然選択は個体の表現型に働き、個体の生存と繁殖の相違で作用するから、アミノ酸に変化を起こさないような同義的な突然変異は自然選択の作用を受けにくいと考えられる。

進化の過程で、アミノ酸に変化を起こすものより起こさない置換の方がはるかに高い頻度で起こっており、生物種内にかなり速い速度で蓄積してきている。ヒストンH4やチューブリンなどのタンパク質では、10億年の間にわずかアミノ酸部位100に1個程度の変化に過ぎないのに対して、DNA塩基のレベルではコドンの3番目の部位で同義的な変化が急速に起こっていることが分かった。しかもその進化速度は、ヘモグロビンや成長ホルモンのように、アミノ酸レベルで進化速度がずっと大きなものでも、コドンの第3番目の同義的変化に関してはヒストンとほぼ同じである。すなわち、同義的なDNA塩基の進化における置換速度は比較的高いだけでなく、各種のタンパク質分子でほぼ同じ、という著しい性質がある。

以上の観察事実は、中立説から予測される、機能的な制約が少なくなると分子の進化速度はある上限の突然変異率に収束する、という考えに行き着く。第39回講座18.1.5節で示したように、中立突然変異の進化速度は中立突然変異率に等しい(k=v)。一般に突然変異には有害なものもあるから、一般に中立突然変異の割合をf0とすると、有害な突然変異の割合は1-f0は進化に寄与しないことになる。そうすると、総突然変異率vTと中立突然変異率vとにはv=vTf0の関係になるから、進化速度は

k=f0vT

で表わすことができる。この式で、有利な突然変異の寄与には配慮していないことに注意したい。ここでf0は突然変異のうち自然選択に中立なものの割合であるから、機能的制約の大きい分子ほどf0は小さく、逆に制約が小さい分子ほど1に近くなると考えられる。この式で進化速度kは単位時間あたり、部位あたりの突然変異による置換率を測ったもので、vTは単位時間あたり、部位あたりの総突然変異率を表わす。前述した同義置換の進化速度は完全にf0=1ではないが、かなり1に近いのであろう。

ここで興味深いのは偽遺伝子pseudogeneの進化速度である。偽遺伝子はDNA塩基配列に関して正常な遺伝子と相同であることが明らかなのにもかかわらず、さまざまな理由から遺伝子としての機能を失ったものである。ヘモグロビン遺伝子でも、マウス、ヒトなどで偽遺伝子は次々とみつかっている。これらの進化速度の研究から、機能を失った後は塩基置換の速度が速くなり、ヘモグロビン遺伝子における同義置換を上回る速度を示すことが明らかとなった。しかも、この速度の速まり方はコドンの1番目と2番目で特に著しく、3番目ではもともと速いので、あまり違いはない。偽遺伝子は、表現型での作用がなく、そこでどんな突然変異が起こっても自然選択には無関係だから、すべて中立(f0=1)に限りなく近くなり、その結果k=vTの最大速度に限りなく近い速さで進化している、と考えるのが自然である。DNAレベルの話題については宮田(1984)の総説を参照されたい。

18.5.分子進化と表現型進化

形質(表現型)レベルの進化についての研究は、ダーウインの「種の起源」以来130年以上にわたって行われてきた。一方、分子レベルでの進化の研究はまだ40年ほどであるが、DNA塩基配列のデータがどんどん求められるようになり、分子進化の特徴が次第に明らかとなってきた。表現型の進化と比較して、異なる点を挙げてみよう。

分子進化と表現型進化との特徴
  速 度 パターン
分子進化 年あたり一定 保守的
表現型進化 系譜や年代で 緩急の差が大きい 便宜的

なんども述べたが分子進化では、速度の一定性が大きな特徴で、異なる分子の間では進化速度が違っても、特定の分子ではどの種の系譜でも年あたりの速度はほぼ同じである。例えばヘモグロビン分子についていえば、アミノ酸部位あたり、年あたりの置換率は各種の生物でほぼ10-9で、これは「生きた化石」という何億年も表現型がほとんど変わらない生物でも、また表現型進化の速いものでも同一である。特定の分子についてみれば、いろいろな生物種の系譜で、時計のように一定の速度で変化している(分子時計)。

これに対して、表現型レベルでは、生物種によって進化速度が著しく違うのが普通である。シャミセンガイのように4億5千万年も同じ属であるとみられるものもあれば、魚からヒトへの系譜のように非常に速く進化したものもある。

次に進化のパターンを考察すると、分子進化の特徴は、変化が保守的である。既存の分子の機能や構造をなるべく損なわないように変化している。例えば、ヘモグロビン分子では、分子の三次元構造の表面に位置するアミノ酸が置き換わっても、分子の構造や機能にあまり支障がないことがわかっているが、進化の過程でも表面はどんどんアミノ酸を置換している。ヘムポケットのような機能の上で重要な部位では、アミノ酸置換は進化の過程で観察されない。ヒトのヘモグロビン血症はこの重要な部位の突然変異であることから、恐らく負の選択negative selectionが働いて進化の過程で除かれているのであろう。

もう一つ例を挙げると、プロインスリンからインスリンができるとき、中央のCペプチドは捨て去られて、両端のAペプチドとBペプチドが結合して、ホルモンとして活性のあるインスリンができる過程でもいえる。すなわち、Cペプチドはインスリンに比べて数倍の速さでアミノ酸の置換が起こっている。

重要でないと考えられる分子あるいは分子の一部は、どうやら進化の過程でどんどん変っている。逆に、進化の過程であまり変わっていない配列がみつかると、そこはなにか重要な機能を果たしているため、突然変異による変化が生じるとそれは除かれるから、結果的には進化の過程であたかも何の変化が起こらなかったのではないかとみられる。

表現型レベルの進化の特徴は、合目的的である。例えば、生存に役に立てば、素材はなんでもよい。空を飛ぶのに動物のはねについていえば、鳥の翼は前肢の変化したものであり、昆虫はまったく違う起源のはねがある。飛ぶためには起源がどう違おうと、そのために役に立てばよい。いわゆる平行進化あるいは収束進化convergenceと呼ばれる現象も合目的的である。たとえば、胎盤をもつ真獣哺乳類では適応放散によって多数の種類が生じたが、オーストラリアでは有袋類の放散が起こり、イヌに似たもの、リスに似たものなど、驚くほど真獣の哺乳類の場合と類似の適応形態のものが生じている。ラマルクは用不用説と獲得形質の遺伝説とでおどろくほど簡単にこれらを現象的に説明した(Lamarck 1809)が、それ以上のなにものでもなかった。

このような合目的的な進化を理解するには、(ダーウインの)自然選択説によらざるを得ない。すなわち、遺伝的変異のうちそのときそのときの環境に対して有利なものが子どもを多く残し、不利なものは死に絶え、それら個々の選択の蓄積が、いわゆる方向性選択という形で残った、として我々は進化を理解しようとしている。地球上の生物は内在的に突然変異を起こすことで生物の個体差を生み出し、それらの生物が置かれたそのときの環境という場でいずれもできるだけ多くの子どもを残そうとしている。中立説は(DNA塩基置換の)突然変異がランダムな過程であるとし、一方環境については現状を一つの基準としてほぼ一定とみる。

実際の進化の歴史において、環境は本当に予測のつかない劇的な変化をしている。大陸移動の開始期(前カンブリア紀末,5.5億年前、ペルム紀末,2.5億年前など)や大隕石衝突のインパクト(白亜紀末,6,500年前)は生物の多様性の質に大きな変化を生じせしめた原因の一つと考えられるが、ともかくも、一般に「ランダム」な現象なのであろうが、突然変異のランダム性とはまた違う天変地異が地球規模で起きたようである。生物は絶えず(連続的に)突然変異で多様性を提示し、生きるための試練を環境から受ける。そうして生き残った生物が進化の結果として我々の前に提示され、観察するところとなっている。

中立説の提唱者、木村資生先生は分子進化と表現型進化の特徴の大きな違いを次のように述べている(Kimura 1981)。表現型レベルで最もふつうの選択は、表現型に変化を起こさない安定化選択である。もし、各表現形質が多数の効果の小さい遺伝子によるなら、最適値と平均値はほぼ一致したところで平衡が保たれ、座位あたりの選択の強度は非常に小さくなり、分子レベルでは中立な進化を起こす可能性が十分にある。すなわち、表現型的に同じものをつくり出すために、多数の遺伝的に異なった組合わせが可能である。

もちろん、表現型進化を分子レベルから理解する上でこの他に重要な話題がいくつもあるが、これら(遺伝子重複(Ohno 1970,1999)、動く遺伝子、原核動物の遺伝子編成など)についてはまた別の機会述べることにする。

 

文 献

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