第20回集団遺伝学講座

安田徳一{YASUDA,Norikazu}


 

7.6 量的形質のモデル:しきい値と切端選抜

 動物育種学で人為選抜の結果を予測するにあたり、適応度の増加率は相加的遺伝分散に等しいという、フィシャーの自然選択の基本定理が応用されている。人為選抜の対象は育種家が改良を企てる量的形質である。自然選択による集団適応度の増加に対応するものとして、人為選抜の場合には個体の遺伝子型で決まる数量、遺伝子型値の目標とする方向への増大である。遺伝的改良の度合を遺伝的獲得量 genetic gain といい、これを求めるのに自然選択の基本定理を用いるには、人為選抜の対象となる量的形質の遺伝子型値を「適応度」に換算する方法をみつける必要がある。以下、量的形質として収量 yield をとりあげ、選抜に際しては各個体の表現型で決まる数量、表現型値のみを判定基準として取り上げることにする(これを集団選択 mass selection という)。

 収量の表現型値をYとし、この発現には複数の遺伝子座がかかわり、集団全体でのYの値は平均y、分散σ2の正規分布をしているものとする。これは遺伝的にはポリジーン模型と呼ばれる。Yの値がある値Cより大きい選抜される個体群の元の集団に対する割合をSとする。ここでCをしきい値(切端値) threshold とよぶことがある。また選抜された個体群の平均値をy'とすると、これと元の集団平均との差を選抜差 selection differential(I) と呼ぶことにすれば

I =y'-y
  =(σ/S)z

ここでσを単位として選抜差(i)を測れば

i = I/σ = z/S

ここにzは平均0、分散1の標準正規分布の横座標が (C-y)/σ の点に対応する縦座標の値で、これは正規分布の表から求めることができる。

常識的には選抜差Iは選抜を強化するほど大きくなると考えられる。iで測った選抜の効果は次世代の親として選抜した個体の割合が少なくなるほど限りなく大きくなると言いきれるであろうか。たとえば数値的にみると

S 0.80 0.50 0.40 0.20 0.10 0.01
i 0.34 0.80 0.97 1.20 1.76 2.66

これをみると、たとえば選抜される個体の割合Sが0.10から 0.01へと10倍選抜が強化されても、選抜差Iの変化は 2.66/1.76=1.51、すなわち約50%に過ぎない。

これは改良すべき形質が2つあるとき、同時に選抜を行ったほうが、個々に選抜を行う方より早く結果が得られることを示唆する。たとえば植物栽培家が2種類の別々のウイルスに対する抵抗性の系統を選抜したいとしよう。またその植物の生殖力は毎世代その99%を捨て、1%を繁殖に使うに十分耐えるとしよう。まずある病気に対する抵抗性のより強いもの1%を選抜し、次の世代で別の病気に対する抵抗性のより強いものを1%選抜する。このときの選抜差はそれぞれの病気についてI=2.66σである。これとは別に世代ごとにそれぞれの病気に対する抵抗性のより強いものを10%を選抜するとしよう。2つの病気に対するより抵抗性の強いものは10%の10パーセントであるから、選抜される植物は1%となる。この場合の選抜差は1.76σ+1.76σ=3.52σとなる.これは世代ごとに、一つずつ病気に対する抵抗性を選抜するよりも、二つの病気を同時に選抜するほうが改良は速く進められると予測される(3.52σ/2.66σ=1.33)。

このような選抜で遺伝子型値と淘汰値とにどのような関係があるかを調べてみよう。収量に関与する遺伝子座の1つをとり、対立遺伝子をG1、G2、その頻度をp1、p2とする。さらに3つの遺伝子型G1G1、G1G2、G2G2のそれぞれの平均収量をy11、y12、y22とする。1座位あたりの寄与は収量の集団標準偏差σにくらべて微小であると仮定するなら、おのおのの遺伝子座について、収量の値はそれぞれの平均値の付近を分散σ2で正規分布をしていると考えられれる。しかもこれらの平均値は集団平均値yのごく近くにあるはずである。

したがって遺伝子型値yijの分布fij(Y)と集団平均yの分布f(y)はともに正規分布となり、近似的に次の関係が導かれる。

f11(Y) =f(Y)(1+ε11Y)     ε11 =(y11-y)/σ
f12(Y) =f(Y)(1+ε12Y)     ε12 =(y12-y)/σ
f22(Y) =f(Y)(1+ε22Y)     ε22 =(y22-y)/σ

この近似はεij2以上の項を無視している。これから各遺伝子型値(収量)がしきい値を越える個体の割合が求められ、それらは

S+Sεij(I/σ)

となる。したがって遺伝子型GiGjの相対的選択値wijは、Σεij=0だから

wij=1+εij(I/σ)

となる。また集団選択値はw=1であることがわかる。以上の結果から、集団平均を基準としてはかった収量の遺伝子型値を選抜における選択係数に換算するにはI/σ2を乗じればよいことがわかる。

ここで人為選抜による遺伝的改良の度合を考えてみよう。これは1回の選抜によって次の世代の収量の集団平均が選抜前の集団平均にくらべてどれだけ変化したかであらわされる。遺伝子作用が相加的な任意交配の集団では

Δy=(I/σ2)Vg

ただし、選抜を続けるかぎり環境条件が変らず、各遺伝子型の収量が遺伝子頻度によらず一定であるとする。Vgは収量にかんする遺伝子分散で、σ2は表現型分散で、この比h2は収量に関する(狭義の)遺伝力 heritability (of the narrow sense) といい、

ΔG=Ih2

これを育種学では遺伝的獲得量 genetic gain という。

これは選抜によって起こる遺伝子型値における集団平均の変化のうち、遺伝子頻度の変化による割合を表わしている。h2は変異のうち親から子へ遺伝する変異の割合を表わしているから、親世代の表現型値の選抜差Iのうちh2が子に伝わることを表わしている。したがって遺伝力h2をいかに求めるかが新たな課題となる。

遺伝力を求める問題は基本的には近親者間の相関係数を求めることになる。実際には相関係数あるいは回帰係数から計算する。たとえば親子についていえば測定値についての共分散CVPOは遺伝子分散Vgの半分に等しいから、親世代の測定値の分散σ2は子世代のそれと同じであるとして、親子の相関係数rPOの2倍が遺伝力となる。すなわち CVPO=(1/2)Vg から

rPO =CVPO/√{σ2・σ2}   (相関係数の定義)
  =(1/2)Vg2
∴ 2rPO =Vg2(=h2)

すなわち h2=2rPO

あるいは片親への子の回帰係数bPOを用いることもできる。定義により、

bPO =CVPO2   (回帰係数の定義)
  =(1/2)Vg2

すなわち h2=2bPO

なお両親の平均値、中親値 mid-parental value を用いると、中親値の子への回帰係数そのものが遺伝力に等しくなる。この結果はグラフで回帰直線を引くとその勾配が遺伝力であることから、人類遺伝学では身長などの遺伝力の計算に利用されている(Galton 1989)。

育種学においてはΔG=Ih2なることから

h2=ΔG/I

に着目して、1世代あたりの収量の実際の増加と選抜差との比から遺伝力を推定することがある。このようにして得た遺伝力を「実現遺伝力 realized heritability」という(Falconer & Mackay 1996)。遺伝と環境の影響が独立であるかどうかとか、改善も含めて環境の変化が大きかったり、収量が各遺伝子型の頻度によって変ったり、さらに各遺伝子型の間に競争があると、理論式を導いた仮定が成り立たなくなるので、この方法の適用には注意を要する。分散分析法で遺伝子分散を詳しく求め、その結果得られる遺伝力と実現遺伝力が誤差の範囲で一致すれば、簡単な理論と実験の結果とが一致したと言えよう。

 

7.7 自然選択の作用の種類(木村 1988)

 自然選択の基本定理からも明らかなように、選択に有効なのは個体間の適応度の相違であって、各個体がすべて同じように多数の子を生むだけでは選択が働いているとはいえない。すなわち多数の子が生まれてその生死が偶然によって決まるのは選択が働いたとはいわない。遺伝的変化による表現型の相違が選択を受けるのである。二十世紀になって野外や実験集団の自然選択の研究が盛んに行われ、その結果通常観察される自然選択のほとんどが、有害な変異の除去に関するものであることがわかってきた。

集団内に異なった遺伝子型の個体がをり、それらの間で次の世代に寄与する子どもの数(適応度)に差があれば、自然選択が働いていると言える。ただしこれは厳密にいうと、遺伝子型レベルでの選択である。自然選択の働きは個々の生物で多様であり、一概にまとめることはとうていできないが、いろいろの分類やその考えが提唱されている。

正の選択と負の選択:正の選択は、集団中に生存力や妊性を高める突然変異が出現したとき、その遺伝子を持った個体はその他の個体より多くの子を残すことで次第にその頻度を増し、集団に広がってゆく場合の選択である。これはダーウィンの進化論に現れる選択で、「ダーウィン選択」ともいえる選択である。実例としては第18回講座で挙げた蛾の工業暗化における黒色遺伝子の増加や昆虫の薬剤抵抗性遺伝子の増加がわずかに知られているだけで、大部分の場合は推測に過ぎない。

これに対して負の選択は突然変異の本質の研究とともに多くのことがわかってきた。とくにショウジョウバエ集団の劣性致死遺伝子や弱有害遺伝子の研究にみるべきものがある。それらの研究から、負の選択は集団に有害遺伝子が出現するとこれを持った個体の生存力や妊性が低下し、この遺伝子が集団から除去される選択である。負の選択は「浄化選択 purifying selection」ともいう。

安定化選択、指向性選択、分断性選択:一般に遺伝子型と選択とではっきり対応付けることは難しく、とくに連続変異をする量的形質、例えば身長、体重などについては、ほとんど不可能に近い。それで選択を表現型のレベルで分類することが行われている(Mather 1953)。 

量的形質について最も普通に存在すると考えられている「安定化選択 stabilizing selection、あるいは正常化選択 normalizing selection や求心性選択 centripetal selection」は、集団平均に近い個体が最も適応度が高く、それから正または負の方向に隔たるにつれて個体の適応度が低下する場合である。実例としてよく挙げられるのが、新生児の体重とその後の死亡率との関係である。英国の新生児についての研究で、生後28日以内の死亡率は中間的体重のものに比べて極端に軽いものも極端に重いものも高かった(Karn MN and Penrose LS 1951)。我が国の新生児の体重と生後1年の死亡についても毎年まとめられる厚生省の人口動態統計でこの事実を伺い知ることができる。

安定化選択は極端な個体を除く選択である。厳密には左右対称のベル型の分布ではないが、モデルとして正規分布をする量的形質で分布の両端に相当する個体が繁殖にかかわることなく集団から除かれる。生物種の生活環境にはある枠組みがあり、極端な表現型の個体はその枠からはみ出すため不利になることが多いと考えられる。そのような不利な個体は突然変異をより多く持っていると考えられ、突然変異により集団の変異が増えると両極端を除く選択と釣り合って、集団の遺伝的構成が毎世代一定に保たれると言える。安定化選択には種の変異を現状維持する役割があるといえよう。

指向性選択は、量的形質の平均値が集団中で適応度が最も高い最適値とは違った位置にある場合に働く選択である。この場合は集団平均は最適値に向かって変化していく。前出の英国の新生児についての生後1ヶ月以内の死亡率と体重の研究で死亡率の最も低い体重(最適値(男児、女児とも約3600g)は平均値(男児約3050g、女児約2950g)より若干大きいことが報告されている。この点だけについて言えば適応的な進化がヒトで進行中であるといえるかも知れない。

分断性選択は一つの集団内に、毎世代二つ以上の最適値があるときに起こる選択である。自然の状態で一つの集団の置かれた環境が多様で、そのうちでいろいろな生態的棲処があり、二つ以上の表現型が別の生態的順位に適していれば分断性選択が起こる可能性がある。

全選択指数:選択を考えるにあたり注意しなければいけないのは、表現型で選択があるからといって、直ちに遺伝子型に選択が働いているのではないことである。たとえば、純系にみられる個体変異はすべての変異が環境の影響であるなら、表現型にどのような強い選択を加えても次の世代にはなんの影響もしない。また、個体間に次の世代に寄与する子ども数にまったく相違がなければ、遺伝子型レベルで選択の働くことはない。Crow(1958)は個体あたりの子どもの数の分散を平均の二乗で割った量(変動係数の二乗)を考え、それを全選択指数 index of total selection と呼んだ。これを用いて選択の上限値を求めた。アメリカの出産データを用いた計算によると、1910年と比べて1950年では、この40年間に、子どもの平均数が増えているにも関らずこの指数は2.6から2.1と約20%減少していることがわかった。

頻度依存性選択と密度依存性選択:生態学の知見を取り入れ、適応の問題を遺伝学的に研究する生態遺伝学では、頻度依存性選択 frequency-dependent selection という用語をよく使う。これは遺伝子型の適応度が頻度によって変化する場合をいう。よく扱われるモデルは、ある遺伝子型が低頻度のときは選択に有利だが、高頻度になると不利になる少数者有利 minority advantage と呼ぶ選択である。もし、二つの対立遺伝子の間で異なった環境資源を利用するような分業があるとしたら、このような選択は十分考えられる。この型の選択があると、二つ以上の遺伝子型が集団中で一定の頻度を維持する安定な平衡状態(平衡多型 balanced polymorphism)を生じる一原因となるので、一時は染色体や酵素の多型を説明する機構として用いられた。しかし、現在ではこのような頻度依存型選択を多型の保有機構としてあまり考えないようである。

密度依存性選択 density-dependent selection は、遺伝子型の適応度が集団密度によって変る場合である。個体密度が高いと遺伝子型の間に働く選択の強度は高まると予測されるが、有害な変異を除去する負の選択が強まるのがほとんどで、有利な突然変異が広がる原因となることは必ずしも多いとはいえない。

r選択とK選択:マッカーサーとウイルソン(MacArthur and Wilson 1967)は離島における生物種の進化を考えるにあたり、r選択 r selection とK選択 K selection を取り上げた。これは集団個体数(N)の時間的変化を微分方程式

dN/dt=rN(K-N)/K

で表わすことに由来する。この式の左辺は世代あたりの個体数の増加率である。右辺のrは密度の低い状態での個体の増加率、Kは環境が無理なく生物を支え得る個体の最大数を表わす。

棲息域に十分な食物があり、個体密度が低い状態では自然増加率(r)の大きな遺伝子型が選択に有利である(r選択)。食物を浪費するほど十分とっても子どもをたくさん生む遺伝子型がそうでないものより適していることになる。しかし、やがて個体数が増えてこみあった状態になってくると、個体あたりの食物が乏しくなり、別の選択が働くようになる。すなわち、わずかの食物でもこれを効率よく用いて子どもを何とか育て上げる能力のある遺伝子型が有利になる(K選択)。

 このような種々の選択が実際に自然の生物種でほんとうに働いているかどうかを確認することは生態遺伝学にとって重要な課題である(Pianka 1978)。現在のところいろいろと問題があり、満足できる研究は多くないようである。自然選択の実証的研究の難しさがうかがわれる。

自然選択の創造性:ヒトのような複雑な生物が単純な微生物から、単に突然変異と自然選択を繰り返すだけで生じるものであろうか。これは過去一世紀近くにわたって自然選択に対して絶えず投げかけられてきた疑問である。たしかに突然変異は一定の方向をもたず、でたらめなものであるが、自然選択は無秩序の状態から秩序を生じる機構である。

生物としてのヒトを作るための情報は、4種類のDNA塩基が配偶子の核に含まれる約30億の塩基部位に書かれている。仮にこの3%の1億が意味をもち、残りはどんな塩基であっても、欠失は別として、ヒトの表現型の上で影響がないとしよう。この1億の部位のそれぞれが4種類の塩基のうちの1つで占められるから、ヒトを作る情報で考えられる場合の数は4100,000,000、すなわち約600万桁の数になる。無作為な突然変異だけでこのうちの特定の一つの塩基配列が生じる確率はこの逆数で、このとてつもない微小な確率は、どんなに大きな時間と空間が与えられたとしても、偶然だけで生じることは不可能なことを示している。

一方、1億の塩基部位のそれぞれで選択が働き、少しずつ有利な変異を積み重ねていくとする。これが過去30億年にわたる地球上での生物進化の間に行われるとすると、(塩基部位の約1/4は偶然によりすでに適切な塩基がはまっていることを考えると、残りの部分で)部位あたり40年に一回の割合で自然選択により塩基を置き換えればよいことになる。これは十分可能性のある値である。「失敗は成功のもと」というが、短期的には負の選択をくりかえして、長期的には少しでも有利な変異を積み重ねていく過程が進化の上であったと考えられよう。

 

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