人獣共通感染症連続講座 第66回

ウシ海綿状脳症(BSE)の問題がヒツジに波及


BSEの発生は、原因となった肉骨粉を餌に用いることが禁止された結果、最盛期の1992〜3年での年間発生数3万5千頭前後が1996年には8千頭、1997年には4千頭にまで激減してきました。 オックスフォード大学のロイ・アンダーソン教授の推定では、2001年の発生は72頭(信頼限界45-1、592頭)と、21世紀はじめに終息することが予想されています。

ところが、BSE感染によるとみなされる新型CJDの患者は、現在27名(ほかにフランスで1名)となり、とくに潜伏期患者が多数いるかもしれない英国では血液製剤の安全性にも関連した大きな問題になってきています。 一方でBSEの問題は人に続いて、ヒツジへ波及してきています。 その現状をご紹介します。


1. ヒツジでのBSEとスクレイピーの鑑別

第49回の本講座でもすでにご紹介しましたがヒツジが問題になったのは今度がはじめてではありません。 とくに最近新しい知見が加わったわけでもありませんが、色々な情報が蓄積してきた結果、最近、海綿状脳症諮問委員会SEACが英国のヒツジからのBSEの伝播の問題について検討するためのサブグループの設置を勧告しました。 これを受けてヒツジのBSEについての記事が8月21日づけのタイムス紙にマイケル・ホーンスビーMichael Hornsbyにより書かれたことで、問題の複雑性があらためて示されました。 この記事を中心に、ヒツジでのBSEの問題を解説してみようと思います。

BSEの原因になった肉骨粉はウシだけではなく、ヒツジにも餌として与えられていました。 同じ餌を与えられた猫や動物園のウシ科動物がBSEになったと同様、ヒツジでもBSEの起こる可能性が考えられます。 実際にBSEウシの脳乳剤をヒツジに経口接種する実験も行われ、ヒツジが発病することが報告されています。 ヒツジでのBSEは臨床症状もスクレイピーによく似ていて両者の区別は困難です。

プリオン病の生化学的診断法として、ロンドン大学のジョン・コリンジ教授は、脳の乳剤中の異常プリオン蛋白のウエスタン・ブロットによる電気泳動のバンドのパターンから、BSEと新型CJDは、普通のCJDと区別できることを発表しており(本講座第47回)、これは新型CJDの確定診断にも利用されています。 ところが、ヒツジにもともと存在するスクレイピーとBSEの区別は本講座第49回でもご紹介しましたが、野外のスクレイピー株にはBSEと同様の電気泳動パターンを示すものもあります。 これはマウス脳内接種での株のタイピングを行うとBSEではなくスクレイピーです。 したがって、コリンジの方法をBSEとスクレイピーの鑑別に応用することは不可能です。 英国家畜衛生研究所のモイラ・ブルースの株タイピング(本講座第57回)にたよるほかありません。 しかし、これは1年以上かかる大変な実験です。


2. 英国でのスクレイピーの発生状況と対策

英国ではスクレイピーは1993年1月以来、届け出伝染病になりましたが、1993年の発生数は英国農漁業食糧省の報告書では328頭、94年が235,95年254,96年453,97年465,今年は8月初めまでに175頭となっています。 この数はとても実態を示すものとは思えません。 英国の家畜衛生研究所ではスクレイピーヒツジ3,000頭の脳を1頭につき15ポンドで購入してレンダリングのシミュレーション実験を行ったことがありますが、その際にはこの数のヒツジを集めるのに約半年かかりました。 このことから年間発生数は6,000頭以上と推定されました。 それが届け出伝染病になったとたんに発生数は激減したわけです。 買ってもらえたのが、届け出伝染病になると無償で殺処分になり、汚染農場ということになってしまうことから、届け出が激減したのだろうといわれています。

スクレイピーヒツジの強制的殺処分に補償がでるようになったのは今年の7月29日からです。 市場価格に応じて最高で400ポンドまで支払われることになっています。 しかしタイムス紙では1頭あたり25.34ポンドと書かれており、また、この対策が実施されてから3週間の間に殺処分されたのは11頭のみとなっています。


3. ヒツジのBSEと食肉規制

ヒツジがBSEに感染していると仮定すると問題は複雑になります。 ウシのBSEでは感染性は脳・脊髄のみでリンパ組織にはみつかりません。 この成績にもとずいて脳・脊髄を食用から除外する食肉規制が実施されているわけです。 ところが ヒツジにBSEを実験感染させた結果では脳・脊髄のほかに脾臓にも感染性が見いだされます。 リンパ組織にも感染性が見つかったわけです。 マウスでのスクレイピーやCJDの実験ではリンパ組織でまず病原体が増殖し、それから脳に到達することが見いだされており、リンパ組織に感染性が見つからないBSEがむしろ例外的でした。 リチャード・キンバリンによれば、これはウシが最終宿主ということを示す成績と言われています。

ともかく、ヒツジではBSEもスクレイピーの場合と同じ結果となったわけです。 そうなると、ウシで行われている食肉規制の方式はヒツジでは不十分になります。 脳・脊髄に加えて、脾臓、厳密にはリンパ組織も除外しなければならなくなります。 ところがリンパ組織は骨付き肉の関節などいろいろな部位に散らばっているために食肉から除去することは現実には不可能ということになります。

スクレイピーが人に感染しないという推測は長年にわたる疫学的事実から引き出されたものですが、ヒツジのBSEについては、まったく新しい問題提起になります。 タイムス紙によれば、SEACのメンバーのひとりであるレッデイング大学のジェフ・アーモンド教授はウシのBSEがヒツジにもどったのか、それともBSEの原因となったスクレイピー株によるものか、それが問題だと述べています。 もしも後者であればかまわないが、前者だとすると問題が起きてくる。 そして現実にはそのいずれかということを区別することができないことが、もっとも大きな問題であると。 彼はプリオン病の専門家ではなく、ポリオウイルスの分子生物学的研究で有名な人ですが、問題点の整理をきわめて明確に行ってくれるので、彼のコメントはよく登場します。


4. スクレイピーの生前診断

ついでですが、スクレイピーの生前診断法としてはオランダの国立家畜衛生研究所DLO-Institute for Animal Science and Health(これはアムステルダム近くの海を埋め立てて建設されたものです)の研究グループは扁桃について免疫組織染色で異常プリオン蛋白が発病の1年半以上前に検出できることを報告しています。 米国ワシントン州プルマンにある農務省の動物病研究ユニットのドン・ノールスDonald Knowlesのグループは、ワシントン州立大学獣医学部(ノールスの研究ユニットはここに設置されています)と共同で、最近、ヒツジの第3眼瞼、通常瞬膜と呼ばれますが、ここにあるリンパ組織で生前診断が可能ということを発表しています。 臨床的に正常なヒツジで異常プリオン蛋白が免疫組織染色で見いだされたものは2ないし7カ月後にスクレイピーを発病しています。 瞬膜は扁桃と違って簡単に採取できるので生前診断法として現実性があります。 なお、瞬膜は哺乳類には大体あるようですが、人では発達が悪く結膜の下の半月ひだ状のものだそうです。


追記

本講座をお送りした後でネイチャー9月3日号が届きました。 6〜7頁に本講座と同様の内容が紹介されています。 とくに公衆衛生対策が科学よりも不確実性にもとづいたものにならざるをえないという点が強調されているように思えます。


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