人獣共通感染症連続講座 第51回

動物バイオテクノロジーの進展

クローン羊の技術開発の背景


ネイチャー2月27日号に掲載されたクローン羊のニュースは大変な反響を呼んでいます。 人への応用の可能性が最大の論点です。

しかし、動物を製薬工場とする新しい技術、また移植用の豚の開発といった動物バイオテクノロジーの進展が、クローン羊の技術開発の根底にあるという点については、あまり具体的には触れられていません。

これらの技術開発の現状、安全性にかかわる問題などについては本講座(第121820293149回)で述べてきました。 それらと若干、オーバーラップするかもしれませんが、クローン羊開発の背景という観点から、簡単にまとめてみようと思います


1. 動物製薬工場

クローン羊の作製はロスリン研究所 BBSRC Roslin Instituteと、その敷地内に併設されたベンチャーである PPL Therapeutics(記憶に間違いがなければ、Protein Pharmaceutical Laboratoryを略したものです)の共同研究によるものです。 たまたま、私は昨年1月にPPLが米国バージニアに設立した研究所を訪問し、また12月には霊長類センターの吉川先生とエジンバラのPPL工場(というよりも農場といった方がよいかもしれません)を訪問しました。 その際の訪問記録の一部は本講座(第29回第49回)でもご紹介しました。

PPLでは羊の乳腺で医薬品の製造を行っています。 製品の第1号は嚢胞性線維腫などの肺の病気の治療薬であるアルファ1アンチトリプシンAATです。 この病気はコーカシアンに多く、米国とヨーロッパでは55,000人くらいが、この薬での治療を必要としています。 エジンバラのパイロットプラントでは300頭のトランスジェニック羊から製造しており、英国の医薬品検査局の審査を通過して、英国で40人の健康なボランテイアでの臨床試験が今年始まったそうです。 なお、米国のボストン郊外には Genzyme Transgenics があって、ここでは山羊で血液凝固防止剤アンチトロンビンIIIを作っており、こちらも米国での臨床試験が始まっているそうです。

エジンバラの工場は羊での製薬だけで、牛と豚での実験はバージニアの研究所で行われています。 バージニアでは、アルファラクトアルブミンを産生するトランスジェニック牛が出来ています。 ミルク1リットルあたり2.4グラムの生産量とのことで、牛1頭からの年間生産量は500キロからトンのレベルにもなると予想されています。 トランスジェニック豚も出来ていると聞きましたが何を発現しているのかは、公表されていません。


1. 異種移植用豚

これについては本講座(第18回31回)でご紹介しました。 この研究は現在、英国ケンブリッジにあるイムトラン Imutran と米国デユーク大学に関連したネキストラン Nextranがもっとも進んでいます。 とくにイムトランの方は、サルでの心臓移植実験で、異種移植でもっとも問題になる超急性拒絶反応を克服できそうな成績が得られ、人での臨床試験が検討されています。 ただし、豚由来のウイルスによる感染の危険性が未知であることから、英国保健相により安全が確認できるまで、臨床試験の開始が止められています。 この問題については、第31回の本講座でも述べたように、まさに人獣共通感染症に直結するものですので、また別の機会に現状をご紹介するつもりです。

とにかく、異種移植用豚への期待が高まるなかで、PPLは昨年、Royal Postgraduate Medical Schoolと共同で異種移植用豚の開発にとりくむことを公表しています。

この発表とほぼ同じ頃と思いますが、PPLは昨年6月に株式を公開し、そこで3,500万ポンド(70億円)の資金が得られたといっております。 今回のクローン羊のニュース以来、株価は倍になったとか?

ところで、超急性拒絶反応は人の体内に存在するほかの動物細胞表面抗原に対する自然抗体と補体によることが明らかになっており、現在は、人の補体制御遺伝子のひとつであるDecay Accelerating Factor (DAF)の遺伝子の導入で、この反応の回避が試みられています。 もうひとつの方法として、もっとも重要な自然抗体がアルファ1-3ガラクトース・エピトープ抗原であることから、この蛋白の遺伝子を破壊したノックアウト豚を作製することが考えられています。 ただし、ノックアウト動物を作るには、胚性幹(ES)細胞が必要です。 しかし、ES細胞は多くの努力にもかかわらず、いまだにマウスで分離されているだけです。 したがって豚では技術的に現在は不可能です。


3. クローニング技術の応用

以上のように、動物バイオテクノロジーの応用は、製薬工場と異種移植のふたつの領域で急速に進展してきています。

この領域の基盤技術として、クローニングはきわめて画期的といえます。 トランスジェニック動物では、導入遺伝子が子孫に安定して伝達されることが必要です。 一方、製薬工場として多数の動物を増やすといっても、妊娠期間が約5カ月で1〜3頭の子羊が生まれるのでは、簡単にはいきません。 PPLのAAT産生羊の第1号はトレーシーTracyという名前の羊で1991年に生まれました。 そして、6年後の現在300頭近くになったところです。 長い年月で動物を増やしているのでは、導入遺伝子が安定に保たれるかどうか、保証できません。 遺伝子発現のレベルが低くて使いものにならない動物もかなりでてくるはずです。 これらの問題はクローニング技術で解決されます。

今度、開発された体細胞のクローニング技術は、現在は非常に低い効率ですが、効率を高める技術開発が進めばこの領域で革命的なものになることが期待されます。 培養細胞に遺伝子操作を行うことで、遺伝的に同一のトランスジェニック羊や牛を作ることが可能になります。 将来は遺伝子導入に多数の家畜を使う必要もなくなります。 また、特定の遺伝子座に導入する、いわゆるターゲッテイングが可能となりますので、ノックアウト羊や豚も技術的に可能になります。 異種移植用のノックアウト豚も可能というわけです。

実は、昨年1月にPPLの研究所で、ES細胞なしでノックアウト家畜を作る方法を研究しているという話を聞かされたのですが、皆目検討がつきませんでした。 その後、12月にエジンバラのPPLで、研究部長アラン・コールマンAlan Coleman教授から、パネルを使って核移植によるクローニング技術の説明を受けて、はじめてその内容がわかった次第です。 しかし、詳細はネイチャーに投稿中といっており、その時点では体細胞とはいわずに、胚細胞からのクローニングと説明されました。 したがって、今回の発表のような画期的なものであることまでは気がつきませんでした。



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