人獣共通感染症連続講座 第175回

(3/11/07) 

小澤義博氏の論説「牛海綿状脳症(BSE):欧州と日本の現状分析と対策」への反論
山内一也、品川森一


 日本獣医学会の機関誌「Journal of Veterinary Medical Science」69巻、2007年1月号に上記の論説が掲載された。内容は、(1)欧州における BSEの推移、(2)日本におけるBSEの推移と今後の対策から成り、後者が本論説のほとんどを占めている。
 (2)では、日本の検査体制を中心に徹底的な批判が展開されている。日本でのBSEにかかわる食の安全対策は、感染した動物を食物チェーンにまわさないというWHOの原則にしたがったものであり、それを支える検査技術に信頼性がないような批判は、日本でのBSE対策の根幹にかかわるものである。そのほかにも科学的な面での誤りや事実認識の誤りが見受けられる。
 OIEの名誉顧問という小澤氏の立場を考えると、OIE内部でも同様の批判がおこなわれている可能性が考えられることから、ここに反論をまとめた。

I. 小澤論説の抜粋

 問題になる箇所にアンダーラインをしてある。

(1)欧州におけるBSEの推移
省略

(2)日本におけるBSEの推移と今後の対策
・・・・・

全頭検査を牛肉の安全検査と称して2001年10月から全国で実施することとなった。しかし、この迅速テストの限界や、その応用の目的については、当時はよく理解されていなかった
・・・・
2頭の若齢牛(21ヶ月齢と23ヶ月齢)・・・もしもこの若い牛がBSEに感染していたとすると、当時すでに禁止されていた反芻獣由来の蛋白が大量に与えられていた可能性が考えられるが、疫学的調査ではその様な証拠は何も報告されていない。何故この2頭の若齢牛だけが一ヶ月の間に続けて発見されたのか、またマウスの感染実験の結果は2年以上たっているが、何故まだ報告書が出ていないのか。異常プリオンの量は通常の1/500以下であったが、濃縮過程に何か問題はなかったか。もしこの2頭の若齢牛が2002年1月頃に大量の病原体に暴露したとすると、その頃から既に5年近く経っているので、この2頭以外の同年齢層(コホート)の牛にBSE陽性の牛が見つかっている筈である。以上のことから当時の診断技術上に何か問題はなかったか再度検証し、国際問題となる前に決着をつけておく必要がある。
 また、2006年3月に14歳齢の和牛(第24例目)が陽性例として報告されているが、この牛が生まれた1992年頃にBSEプリオンが長崎だけに存在したとは考えにくく、裏付けとなる証拠は何も見つかっていない。又ウエスターン・ブロット法で検出された異常蛋白のバンドのパターンが、真性BSEのパターンと異なることもあるので動物への感染性を調べる必要がある。
・・・・ 

現在、EUにおける非定型BSEのルーツについては、次の3つの説がある。
(1)真性BSE病原体が細胞内で立体構造の変換を起こした。
(2)BSEのもとになるスクレイピー株が色々あるので、その幾つかが肉骨粉を通して牛に与えられ非定型的なプリオンとなった
(3)ヒトにおけるように、散発性のBSEが存在する。

 これら3つの説のうち大方の説は(2)であり、(3)は証明不可能である。

今日までの日本のBSE陽性例の分析結果を総合すると
イ)省略
ロ)省略
ハ)2頭の若年齢牛と14歳齢の和牛1頭は、今までに得たデータだけでは、BSE  と断定する事は出来ないので、国際的に認知されるためには、更なるデータが必要となる。
ニ)日本ではBSE汚染飼料は乳牛にのみ与えられたものと考えられるので、将来のサーベイランスは乳牛(成牛)のみ検査すれば効率的に目的を達成することが出来る。
ホ)省略

BSEのサーベイランス

3.1.EU諸国におけるサーベイランス

・・・・
EUは迅速検査によるサーベイランスでは、野外の死亡牛や異常牛(24ヶ月以下)や30ヶ月齢以下の健康牛を検査してみてもBSEを発見できる可能性はなく、しかも30−35ヶ月齢牛を検査する費用や1頭の陽性牛を見つけるために302,000、00エキュー(約450億円)かかる事が分かったので、30−35ヶ月以下の健康な牛を検査するよりも、その費用を危険部位の除去方法などの他の安全対策に投資すべきであると考えるようになった。従って日本の主張している21〜30ヶ月齢の牛を検査してみても「真性のBSE」は見つからないだけでなく、検査に要する費用と労力の浪費は莫大で論外であると考える。・・・・ 

3.2.日本におけるサーベイランス

 日本では2001年10月から健康牛の全頭検査を牛肉の安全対策用のテストと称して導入する事を決めた。しかし当時日本では迅速テストの限界やEUのサーベイランスの目的についてよく理解していなかった
 EUは、科学的には30ヶ月齢以下の若い牛を検査してもBSE陽性牛が検出される可能性は殆どないことが分かっていたので、30ヶ月齢以上の牛の検査で充分とされていたが、日本では「世界一厳しい安全対策」と称して、屠畜場に入った全ての牛を検査する事を決めてしまった。これが日本の「全頭検査神話の始まりであった。更に不幸な事に、当時日本で牛肉の偽装事件が発覚し、消費者は生産地や年齢の分からぬ牛肉の安全性に対する不信感が増幅された。その結果BSEの迅速テストで合格していない牛は安全ではないと言う印象を消費者に与えてしまい、未だにそれを信じている人が多い。・・・・

3.3.OIEのサーベイランス基準
省略

3.4.牛の非定型的異常プリオンの問題

・・・・・
2003年頃から、牛のプリオン病をWestern Blot (WB)法や組織病理検査法で検査すると「真性BSE」のパターンとは異なる異常プリオンが存在する事が分かってきた。今日までに牛の非定型的な異常プリオンが見つかった国には、イタリア、フランス、日本、ドイツ、ベルギー、アメリカ等がある。現在「非定型的」な牛の異常プリオンはWB法で少なくともH型とL型に分けられ、H型はフランス、スウェーデン、ポーランド、アメリカで見つかっており、L型はドイツ、フランス、ベルギー、イタリア、日本等で見つかっている。WB法の分子量の大小とGlycoformprofiles、及びマウスの感受性試験等で区別されている。H型は比較的老齢の牛に多く見られるといわれており、BSEのプリオン株とは違う新しいプリオン株であるという説がある。またL型はサル脳内接種により、真性BSEより感染効率が高いとされている。
 「真性BSE」は、BSE病原体で汚染された蛋白飼料を与えられた牛に発病するものであるが、非定型的なものはそれ以外の原因によって起こるものか、または老齢牛に孤発的に見られる非定型的プリオンであるのかまだよくわかっていない。今後も迅速検査で数多くの牛を調べれば、非特異的反応や非定型的な例数も多く発見されるものと思われる。真性のBSEであるか否かを決定するには、迅速検査だけでなく、疫学的な証明と動物での感染試験が必要となる。ウエスタン・ブロット(WB)検査でBSEの異常プリオンと似たパターンが見つかったからと言って、すぐBSEとしてOIEに報告してしまうと、日本はBSE感染国リストから永久に抜け出せなくなってしまう可能性がある。
 また2001年から今日までの日本におけるBSE確定診断法には、欧米で使われているWB法の抗体とは異なる抗体や、違う濃度の抗体を用いた可能性がある。EUにはEU基準が決められており、勝手に検査手順や抗体濃度などを変えることが禁止されている。日本の場合、ゴールド・スタンダードが何処にあるのか、またEUOIEの基準との比較はどうなっているのか、不明な点が多いので、今後は他のOIEリフェレンス・ラブ(診断センター)との連携を深め、出来るだけ早くBSEの定型株とその他の非定型株をどの様に分けていくべきかを決め、診断方法の世界的基準(ゴールド・スタンダード)をOIEあるいは日米のような2国間で早急に定める必要がある。その上で定型的、非定型的(亜型)を見極めてOIEに報告するようにすべきであると思う。不必要な若齢牛の迅速検査の継続は莫大な経済的損失だけでなく、将来日本の清浄化対策を混乱させ、遅らせる原因となりかねない。 

(4)日本のBSE対策の問題点

4.1.安全対策のあり方と経済効率

 日本の総人口1億2700万人のBSEに感染する危険のある人は約0.0026人で、「1人にも満たない」というリスク分析の結果がある。それにも関わらず今日までに約4000億円の税金が投入されただけでなく、牛肉の高騰や安い牛肉の不足などによる消費者やサービス業界の経済的損失は約6000億円以上になり、我が国の経済的損失は人件費抜きで、合計1兆円以上と見なされている。1人の死者も出ない病気に1兆円以上も使い、外国にも同様に金をかけるよう強要するためには、日本の科学的根拠は余りにも曖昧である。

 何故この様な事になってしまったのか、その理由を分析し今後同じことを繰り返さぬよう早期に対策の見直しをする必要がある。日本のBSE対策の反省点を纏めると:

イ)BSEが2000年頃に侵入するリスクは極めて高かったのに、EUの忠告を無視し緊急対応策の準備を整えていなかった。
ロ)欧米では事前準備(Preparedness)をリスク対応の一部と考え予算がとりやすいが、日本では通常緊急事態が起こるまでは予算はつかない。
ハ)BSEのリスクをその情報の提供「リスク・コミュニケイション」が日本でBSEが発生される以前に行われていなかったため、消費者や関係業者のショックは大きく、風評被害も大きかった。リスク・コミュニケイションの専門家も不足していた。
ニ)国内にBSEに精通した専門家が不足していたにもかかわらず、早期に海外の専門家のアドバイスを受け入れようとしなかった。逆に大勢の政治家が欧州に押しかけ、同じ質問を繰り返しひんしゅくをかった。
ホ)政治決着と称して、BSEの迅速検査の限界や信頼性を充分検討することなく「全頭検査」に踏み切り、世界で最も厳しい安全対策として宣伝してしまった。
ヘ)日本の科学者の多くは、実験室内の研究に専念する病原体の専門家であるが、防疫方法や疫学に関する専門家ではなく、また屠畜場や食肉処理場の専門家でもない。
ト)欧米ではすべての対策には経済効果(費用と便益)が必ず考慮されるが、日本では緊急時には国の保障があると信じて、未だに経済効率が無視されてきている。消費者も安全対策は「ただ」と思っている。
チ)日本の消費者団体は経済効率を無視した「ゼロリスク」を要求する傾向が強く、科学的妥当性よりも時として政治的・感情的対応を求める事が多いので、全ての団体を満足させようとすると国の対応が遅れる。
 今後は事前準備(Preparedness)のあり方、リスク・コミュニケイションの専門家の養成、科学者と政治家の役割分担、経済疫学的分析(費用対便益の応用)、外国人専門家の登用などを積極的に研究して、同じ間違いを繰り返さないことが望まれる。 

4.2.屠畜場・食肉処理場の問題点
省略

4.3.日本のサーベイランスの改善策

・・・・・
イ)健康牛の検査
ロ)検査すべき牛
 ・・・黒毛和牛が非定型的BSEとして報告されているが、この牛のサンプルが動物に感染性を有することが証明されるまでは、(630万頭余り検査した中で1頭見付かった非定型的な例のために)全ての和牛を検査する必要はない。

 

II.小澤論説に対する反論

1.日本の検査

 主な批判は、日本の専門家が迅速検査の限界や応用の目的を理解していないこと、勝手な検査手法(濃縮操作、使用抗体、ゴールド・スタンダード)を採用したこと、疫学的知見を含めた総合診断が欠けているという、3つの点である。これらについて反論する。

-1.迅速検査の限界、応用の目的は充分に理解している

 EUは4つの迅速検査キットについて、特異性、再現性、希釈度について比較試験を行い1999年に3つを承認した(本講座110回)。日本では、EU科学運営委員会の報告に掲載されている試験データと、開発メーカーのデータをもとに検討が行われ、3つのうち、もっとも感度が高かった、バイオラッド社の製品が採用されたのである。
 迅速検査の応用目的は感染した動物の検出である。限界という意見は、感染してから反応が陽性になるまでの潜伏期の間に検査をすり抜ける点を指すものと考えられるが、どのような感染症でも感染後一定期間は陰性であることは病原微生物学の常識である。脳に蓄積しているBSEプリオンの量が検出限界以下の動物では、特定危険部位の除去がリスクの低減に役立っている。 

-2.勝手な検査法ではない

 プリオン病の研究者の世界でゴールド・スタンダードという言葉は用いられていない。行政など対策にかかわる人たちが用いているように思える。
 BSEを含めてプリオン病の診断はすべて、病原体と考えられている異常プリオン蛋白の検出に依存している。そのための方法として以下の3つが用いられている。
 a.ウエスタン・ブロット法:異常プリオン蛋白を生化学的に検出する。
 b.エライザ法:異常プリオン蛋白を生化学的に検出する(全頭検査に用いられている)。
 c.免疫組織化学検査:顕微鏡下で病理組織切片について異常プリオン蛋白を検出する。 

 ほかの検査法として、以下の2つがある。
 d.病理組織学検査:病変(空胞変性)を検出する。
 e.感染性試験:動物に接種して発病の有無を調べる。

 しかし、病理組織検査の場合にはその病変がBSE特異的であることを証明するために異常プリオン蛋白の存在を確認しなければならない。感染性試験の場合には発病がBSE感染によることを証明するために、動物の脳などについて異常プリオン蛋白の存在を確認しなければならない。
 これら5つの検査法に共通している、必要不可欠な条件は異常プリオン蛋白の検出である。言い換えれば、異常プリオン蛋白の検出がゴールド・スタンダードになる。
 日本とEUでは、BSEの確認として、ウエスタン・ブロット法または免疫組織化学のいずれかが陽性の場合と規定している。
 感染性の証明は研究面で役にたつが、上述のように診断に不可欠な条件ではない。
 疫学的知見を含めた総合診断もまた不必要である。異常プリオン蛋白の検出で陽性と判断したのち、疫学的知見が求められるのである。
 濃縮は23ヶ月齢の若齢牛について行われたリンタングステン酸(PTA)処理を指すものである。これは濃縮ではなく、異常プリオン蛋白を選択的に沈殿させるものであって、部分精製ということになる。23ヶ月齢の牛では、この処理を行わなくても、異常プリオン蛋白は検出されていたが、夾雑物を除いてウエスタン・ブロットの像を鮮明にさせるために行われたものである。なお、21ヶ月齢については、この処理は行われていない。
 この処理は、2004年の日米BSE作業部会で米国側から問題として提起されたものである。彼らはこの処理の目的を充分に理解してなく、また、21ヶ月齢の牛でこの処理が行われたと思っていたのである。この処理法の開発者であるプルシナーをはじめ、プリオン病研究者から問題提起はまったくない。現実に、この処理に依存した迅速検査法(CDI)は、EUから承認されている。
 EUが用いている抗体は6H4という市販のものであって、EUとして取り決めたものではない。日本では独自に開発した、さらにすぐれた性状の抗体を用いている。これらの抗体の性状については、国際学術誌に発表されている。
 OIEとは異なる勝手な方法を日本が用いているような指摘であるが、OIEのManual of Diagnostic Tests and Vaccines for Terrestrial Animalsでは、原則のみが述べられ、その1例が記載されている。国際基準ではない。

以下は、この点に関する食品安全委員会第32回プリオン専門調査会の議事録の抜粋である。要点をアンダーラインで示した。 

「横山委員(OIE・BSEリファレンス・センター長):実はこのOI E Manual に関して、私たちも日本のプロトコールをそこへ載せられないかというような提言はしているんですけれども、OIEの事務局の方が返してくるには、各方法はあくまでリコメンドとして1つの方法をそのマニュアルには記載していると。複数のものをここへ併記するとまたマニュアル自体の混乱を招くので、現時点ではそのマニュアルの中に複 数入れることは避けたいと思っていると。    ただ、OIEのホームページからそれぞれの研究所へどんどんリンクさせるような形で、 マニュアルから発生したものはどんどん取り入れていきたということなので、日本でも実は今、英語版の確定検査のプロトコールをつくっていますし、厚生労働省でも準備してい ただいているんですけれども、そこへこのOIEのホームページからリンクできるように、また動衛研のホームページにそれを付けて、また感染研、北大の方へもいずれお願いしよ うと思っていましたけれども、そういう形でマニュアルの補完というようなことは今、考えています。  ただ、山内先生のおっしゃるように、SAF Immunoblot(注:OIEマニュアルに記載されている方法) 自体が方法論としては少し古 い。または非常に大量のサンプルを必要として、例えば、と畜検査所で少しのピースしかないようなものに対して、すべて応用できるかどうかということを考えると問題があると いうのは事実だと思います。」 

2.日本の専門家に対する批判 

 海外の専門家のアドバイスを受け入れないとの指摘について、海外と日本の専門家の状況をまず、整理した上で反論する。 

-1.1996年—2001年頃における海外の専門家の状況

 BSEに関心が高まったのは1996年vCJDが確認された時と2001年ヨーロッパでBSEの初発国が相次いで見いだされた時である。それらの時点を中心に海外の主なBSE専門家(学術面、もしくは学術面と対策面)を列記してみる。

英国

 Neuropathogenesis Unit, Institute for Animal Health
  Richard Kimberlin(部長), Chris Bostock(後任部長), David Taylor,
    Moira Bruce
 Central Veterinary Laboratories (現在 Veterinary Laboratories Agency)
   Ray Bradley, John Wilesmith, Gerald Wells, Danny Matthews

フランス

  Commissariat a l’energie atomique (CEA)(原子力庁研究所)
  Dominique Dormont

米国

 University of California
  Stanley Prusiner, Giri Safar
 USDA
  John Gorham(現在は引退)、 Linda Detwiler(現在は大学に転職)

-2.日本のプリオン病専門家 

 プリオン説が1982年に発表される以前の1976年、厚生省の遅発性ウイルス感染調査研究班が発足し、それ以来、CJDとスクレイピーで国際的に評価される成果が得られている。1997年には農林水産省のプリオン病研究班と厚生省の伝達性海綿状脳症に関する研究班が結成され、山内は前者の評価を受け持って現在にいたっている。後者は品川が班長を務めてきた。この研究班活動を通じて、さらに多くの研究者が育ってきた。国際的に見て、日本のプリオン病専門家の数は決して少なくない。そのほとんどがBSE対策の科学的基盤の検討にかかわってきている。
 1996年6月、山内と品川は、厚生労働省と農林水産省から派遣されて、両省の技官とともに、英国の主な専門家から情報収集を行った(本講座第42回)。1997年1月に、山内は吉川泰弘東大教授(現在、プリオン専門調査会座長)と、英国、フランスの専門家から情報収集を行った(本講座第49回)。そののち、これら専門家のほとんどと1996年以来、情報交換を行い、とくに2001年日本でのBSE発生以後は、 Bradley, Wilesmith, Wells, Prusinerとは直接会ったり、メールでひんぱんに意見を求め、彼らのアドバイスを充分に受け入れてきている。 

-3.海外のプリオン病研究組織の多くは2001年以後に設立  

 日本では前述のように、1997年からBSE研究組織が活動してきたが、海外では、そのような活動が始まったのは、2001年のヨーロッパでのBSE騒動以後である。それらを列記してみる。

フランス:Dominique Dormontが中心になってフランス食品安全庁でBSE研究が始められた。全頭検査のキット(バイオラッド製)で用いられている抗体は彼が開発したものである。なお、彼は2003年に急死した。 

ドイツ:1910年に設立された世界最古のウイルス研究所フリードリッヒ・レフラー研究所は口蹄疫、豚コレラなど家畜感染症の研究を行ってきた。ドイツでBSEが発生したことを受けて、この研究所に2001年にエマージング感染症研究部門が設置され、それまでチュウビンゲンでスクレイピーの研究を行っていたMartin Groschupをリーダーとして、プリオン病の研究が開始された。なお、山内はここを1998年に訪問したが、その時にはプリオン研究はまったく行われていなかった。(本講座第58回 

カナダ:アルバータ・プリオン研究所が2005年に設立された。これは、アルバータ州代表団が来日した際、山内が説明した日本でのプリオン病研究の経緯がきっかけになって35億ドルの予算で設立されたものである。なお、山内はこの研究所の国際研究諮問委員会の委員(委員長:ハーバード大学医学部長Joe Martin)をつとめている。この委員会には上記のLinda Detwiler, Danny Matthewsも参加している。

 ほかのヨーロッパ諸国では、特記できる研究組織は見あたらない。 

米国: USDA Agricultural Research Serviceが、BSE例が見いだされた2004年以後に、英国Veterinary Laboratories Agencyなどとの共同研究を開始した。米国にはプリオン説を提唱してノーベル賞を受賞したプルシナーがいるが、USDAが全頭検査を支持している彼を敵対視しているため、研究協力はまったく行われていない。

-4.屠畜場専門家、疫学専門家の不在 

 英国のBSE対策にかかわる専門家会議は1990年に設置された海綿状脳症諮問委員会(SEAC)である。これには上記のRichard Kimberlin、Chris Bostock, Ray Bradley, Danny Matthewsが委員をつとめてきた。この委員会には屠畜場専門家はいない。
 EUでは2000年に本格的なリスク評価委員会として科学運営委員会(SSC)が設立された。ここでのリスク評価がEUのBSE対策の基礎になっている。SSCは2003年、バイオハザード・パネルに引き継がれている。このメンバーにもと畜場専門家はいない。SEACとSSCのメンバー構成、活動などについては山内が第9回プリオン専門調査会で解説を行っている(食品安全委員会ホームページ、プリオン専門調査会平成16年5月14日、資料1−1)。
 日本のと畜場に精通した科学者としては、食肉検査員(獣医師)による全国食肉検査協議会がBSEにかかわる科学的な問題に取り組んでいる。この活動にと畜場を管轄する厚生労働省の監視安全課の獣医系技官が協力している。
 なお、平成13年度の厚生科学研究「牛海綿状脳症(BSE)に関する研究」以来、厚生労働科学研究の伝達性海綿状脳症に関する研究班には食肉検査所の獣医師が参加し、と畜場におけるBSEリスク低減のための研究に取り組んでいる。 

 疫学専門家の不在は日本での問題であり、小沢氏が呼びかけて結成された獣医疫学研究会の今後の活動に期待する。

 

3.非定型BSEについての記述は研究社会の考え方と異なる 

-1.非定型BSEは孤発性という作業仮説で検討されている

 非定型BSEは昨年秋トリノで開かれた国際プリオンシンポジウム最終日に半日かけて議論され、孤発性という観点から検討が進められている(P. Brown, L.M. McShane, G. Zanusso, L. Detwiler: On the question of sporadic or atypical bovine spongiform encephalopathy and Creutzfeldt-Jakob disease. Infectious Diseases. Vol.12, No. 12, 2006、本講座172回、)。
 真性BSEという表現は研究社会では用いられていない。非定型BSEが偽BSEといった先入観のある表現は科学的とはいえない。
 非定型BSEの起源については「EUの大方の説」が紹介されているが、どのような人たちを指すのか分からない「大方」といった表現を用いるべきでない。この説ではいくつかの野外のスクレイピー株感染とされているが、そのような見解は研究者からは出されていない。
 かって、BSEの起源について疫学的推測からスクレイピー説が提出されたことがあるが、その後の検討の結果は否定的である(本講座110回)。さらに、BSEが発生したと考えられる1970年代終わり頃に採取してあったスクレイピー羊の脳材料を牛へ接種した実験がVLAで行われたが、BSEは再現されなかった。
H型は比較的老齢の牛に多く見られるといわれており、BSEのプリオン株とは違う新しいプリオン株であるという説がある。またL型はサル脳内接種により、真性BSEより感染効率が高いとされている」の記述は、BuschmannらのVeterinary Microbiologyの論文の引用となっているが、この論文にこのような記述はない。この論文のAbstractでは「英国でのBSEの発生もまた、1頭の孤発性BSEから引き起こされた可能性が考えられる」という見解が述べられており、これがプリオン研究者の間で共通の受け止め方である。
 なお、サル脳内接種で感染効率が高いという表現は誤りである。イタリアでおこなわれたサルへの接種実験で、潜伏期が通常のBSEよりも短かったという結果が得られただけで、この実験は感染効率をみたものではない。
 また、小澤氏が問題にしている日本の23ヶ月齢の非定型BSE牛は、この論文をはじめ、前述のPaul Brownらの論文でも、非定型BSE例として取り扱われており、小澤氏のような疑問は述べられていない。

-2.日本の非定型例についての指摘は誤り

 日本の2例では診断のためのデータ不足という指摘は、診断の項で述べたように、あたらない。
 なお、14歳齢の和牛の場合は、エライザによる迅速試験、ウエスタン・ブロット、免疫組織化学検査で異常プリオン蛋白が検出され、病理組織学的に空胞変性が見いだされている。現在行われているすべての診断法で陽性である。それでなおかつデータ不足という指摘はできない。 

-3.全頭検査はOIEに報告するためのものではない 

 「異常プリオンと似たパターンが見つかったからと言って、すぐBSEとしてOIEに報告してしまうと、日本はいつまでもBSE感染国」という意見は、本末転倒である。食の安全のために全頭検査をおこなっているのであって、その結果を農林水産省がOIEに報告しているのである。
 なお、感染国リストという考えはOIE基準には存在していない。本論説で小澤氏自身が紹介しているように、かっての清浄国は「BSEリスクを無視できる国」という分類になっている。 

4.スクリーニングの考え方を無視した論説 

 BSE対策は農場の牛と屠畜場の牛の両面であり、サーベイランスは農場を対象とするものである。屠畜場での対策について、日本とEUはスクリーニングに依存している。これはWHO専門家会議の勧告にもとづくものである(本講座第35回)。
 EU科学運営委員会は1999年12月、「消費者の保護に理想的レベルは感染動物の排除であり、これが合理的に保証できない場合の第2のレベルは特定危険部位の排除である」と述べている。この意見にもとづき、EUが迅速検査の実施を決定した際、2001年1月、EUの消費者健康保護委員長David ByrneはEC議会で、「感染牛をできるだけ市場に出さないことの確保が必要であり、消費者の信頼回復のための緊急対策として30ヵ月齢以上の牛についてのBSE検査を行う」という談話を発表している。これはスクリーニングの考え方である。
 Prusinerは全頭検査がもっとも合理的と評価している(スタンレー・プルシナー、山内一也:「全頭検査こそ合理的」科学、2006年11月。本講座174回)。
  日本のと畜場でのBSE検査はスクリーニングのためのものであるが、OIE、スイス、米国はサーベイランスのための検査である。検査目的についての考え方が根本的に違っているのである。小澤氏の論説にもスクリーニングの言葉はない。
 サーベイランスは牛の安全対策(間接的な食の安全対策)、スクリーニングは食の安全対策であり、一方で、そのデータはサーベイランスにも役立つことになる。

5.莫大な費用を必要とする検査への批判 

-1.感染する危険のある人の推定は科学的に不可能

 「感染する危険のある人は約0.0026人に対して4000億円の税金が投入された」という批判。この数字がどこでだされたかは分からないが、このようなリスク評価はヨーロッパでもまったく行われていない。
 英国は安全対策が実施されるまでに感染した(過去であって将来ではない)と考えられる人の数を推定したことがある。特定危険部位除去や30ヶ月齢の牛の食用排除の対策といった対策のリスク低減効果については、海難事故のリスク評価を主体とした民間のリスク評価企業に定量的リスク評価を依頼し、その成績は2004年に発表された。ここでは、英国で食物チェーンに入ったと考えられるBSEプリオン量(牛での感染価)が示されている(山内:「BSE感染リスクの評価にかかわる研究の現状」科学、2006年11月号)。
 食品安全委員会プリオン専門調査会では「中間とりまとめ」で、単純計算にもとづいて発病する可能性のある人を0.1人または0.9人と試算した。しかし、そもそも暴露されて発病にいたるメカニズムがまったく不明であるため、発病者を指標とする定量的リスク評価は科学的でないとして、それ以後の月齢見直しのリスク評価では、人への暴露リスクを定性的に評価している。
 この際の議論の一部は、第17回プリオン専門調査会(平成16年12月6日)での山内の発言に示されている。

「今回のリスクの定量的評価というのは、ヒトへの暴露リスクという視点から考えているという点は、私はいいと思うんです。以前は暴露された後患者がどれくらい出るかというリスクで計算を考えようと、もしくは感染者がどれくらい出るかと。ですから、そういう形でリスク評価というのは不可能に近いだろうと。今回はヒトへの暴露を起こす可能性がどれぐらいあるかと。牛の方の話だと思うんです。」 

 英国、調査会いずれも同じ考えにもとづいているのである。感染した人数の推定は科学的に不可能である。

-2.BSE対策費の大部分は農林水産省の予算

 本論説は全体を通じて、全頭検査を大きな無駄遣いと指摘している。その文脈から推測すると、投入された4000億円では検査費用が大きな割合を占めるように受け止められる。
 そこで、厚生労働省食品安全部監視安全課に問い合わせたところ、トレーサビリティ法の施行にともなって平成15年度から集計されるようになった家畜改良センターのデータにもとづいて、平成15−17年度について20ヶ月齢以下と21ヶ月齢に分けた支出額をまとめた表とともに、平成13年度と平成14年度の支出額は、それぞれ2,141百万円と4,391百万円、平成18年度の交付予定額は1,684百万円との回答が寄せられた。したがって検査キット購入の予算は総額で約162億円となる。
 一方、農林水産省に問い合わせたところ、「13年度から16年度の間に国と農畜産振興機構で4,863億円支出した」と答弁した経緯があること、17年度と18年度に少なくとも肉骨粉の焼却経費で100億円ずつ支出していることを踏まえれば、これまでの農林水産省関係の支出総額は約5000億円との回答をもらっている。
 なお、21—30ヶ月齢の牛の検査に要する費用も指摘されているが、30ヶ月齢以上の牛が占める割合を40%として、単純計算すると、平成17年度は10億円程度となる。 

6.消費者のゼロリスク指向への批判 

 BSEが日本で発生することを予期していなかった日本社会では、発生直後はゼロリスク指向の傾向は見られたが、その後、講演会、新聞・雑誌の解説記事、解説書などを通じて消費者はよく勉強して正しい知識を身につけてきている。食品安全委員会などが開催したリスク・コミュニケーションに参加した海外のBSE専門家は日本の消費者がよく勉強しているとの感想を我々に述べている。その一例として、国際放送NHKジャパンでの山内との対談で、プルシナーは「日本の消費者の知識レベルの高さが非常に印象に残っています。日本の消費者は、ヨーロッパや米国、オーストラリアと比べて、情報量が豊富で、その点で、世界中が見習うべきだと思います。」と高く評価している。(スタンレー・プルシナー、山内一也:「全頭検査こそ合理的」科学、2006年11月。本講座174回

III. 小澤論説を掲載した日本獣医学会・編集委員会の責任

 本論説には、この反論で指摘してきたように、科学的根拠に欠ける面が多く、事実関係にも大きな誤りがある。社会的に大きな影響のある、この論説が審査を受けずに掲載されたことは、学術誌としてのJournal of Veterinary Medical Scienceの信頼性を著しく損ねたと考える。
 日本獣医学会・編集委員会は、本論説をどのような経緯で掲載したのか、明らかにすべきである。


月齢別と畜頭数とBSE検査キット整備費の推移

厚生労働省食品安全部監視安全課まとめ

  平成15年度 平成16年度 平成17年度
20ヶ月齢
以下
と畜頭数 133,354頭 157,514頭 163,111頭
BSE検査キット
整備費
368百万円
(12%)
325百万円
(12%)
291百万円
(13%)
21ヶ月齢
以上
と畜頭数 980,348頭 1,104,674頭 1,067,805頭
BSE検査キット
整備費
2,700百万円
(88%)
2,385百万円
(88%)
1,944百万円
(87%)
と畜頭数 1,113,702頭 1,262,188頭 1,230,916頭
BSE検査キット
整備費
3,068百万円 2,710百万円 2,235百万円
(月齢別頭数:家畜改良センターHPより)

 

 

 

 

 


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