人獣共通感染症連続講座 第150回

  (9/24/03

伝達性海綿状脳症:「事実またはフィクション」


 

 伝達性海綿状脳症:「事実またはフィクション」

 これは米国コロラド州フォートコリンズで9月10−12日に開かれたBSEに関する国際会議のタイトルです。コロラド州はBSEと同じく伝達性海綿状脳症(プリオン病)のひとつであるシカの慢性消耗病発生の中心になっている地域です。ここで、BSEと慢性消耗病について現在までに明らかになった事実が紹介され、さまざまな討論が行われました。

 伝達性海綿状脳症に関しては、科学的評価が不十分なために、いくつものフィクションが事実のように語られていることが、このタイトルの背後にあるようです。その理由としては、とくに診断法の不確実性と地球規模でのBSEや慢性消耗病の広がりの実態がはっきりしない点であると、主催者から述べられています。

 当初のプログラムのタイトルは「事実とフィクション」でしたが、最終的には「事実またはフィクション」とニュアンスが変わりました。

 この会議は、2002年4月にスイスのバーゼルで、NPOTAFS (伝達性海綿状脳症と食の安全に関するフォーラムInternational Forum on TSE and Food Safety)が主催した国際会議(これについては本講座128回でご紹介しました)の第2回目に相当するものです。今回は、TAFSに加えて国際獣疫事務局(OIE)、米国農務省(USDA)およびカナダ農務省が共催しています。

 BSEや慢性消耗病の研究者に加えて、家畜衛生や食品安全などに関わる行政担当者を含めて全部で約150名が24カ国から参加して、2日間にわたって活発な討論が行われました。日本からは前回と同様に、私のほかに学術会議から2名(前回も参加された唐木英明先生と、今回が最初の島本義也先生)が参加しただけでした。このような会議には、日本の家畜衛生や食品安全の担当者にも出席してもらいたいものです。

 会議の議題は、発病機構、診断と疫学、リスク管理の3つで、それぞれについて、最近の研究成果や対策についての講演と総合討論が行われました。3番目の話題では、カナダ・ビクトリア大学の哲学教授であるコンラド・ブランク(Conrad Brunk)の講演が大変興味ある内容でした。

 抄録はなく、発表内容の詳細はパワーポイント原稿とともに後日、出席者に配布されることになっています。そこで、私のメモをもとに、私の守備範囲である発病機構に関する話題についてご紹介しようと思います。

1.BSE

  英国獣医研究所のダニー・マシューズ(Danny Matthews)とジェラルド・ウエルズ(Gerald Wells)から最新の実験成績がそれぞれ紹介されました。

 ウエルズはBSEを最初に確認した病理研究者として有名です。獣医研究所の病理学研究部長を最近、定年退職し現在は顧問として研究を続けています。一方、マシューズは家畜衛生行政の立場からBSE問題にかかわっていましたが、数年前から獣医研究所でのウシへの感染実験計画の責任者になっています。もともとは疫学部長のジョン・ワイルスミス(John Wilesmith)が責任者でしたが、ワイルスミスが多忙になったため、マシューズが引き継いだものです。

1)ウシへの最小感染量についての2回の実験。

 第1回目の実験は、BSEウシの脳(1グラム中にマウス脳内接種で1000感染単位が含まれているもの)を300 グラム、100グラム、10グラム、1グラムを、それぞれ10頭の子ウシに食べさせたもの、すなわち経口投与実験です。

 その結果は、300グラムで10頭中10頭(潜伏期33-42カ月)、100グラムでも10頭すべて(33-81カ月)、10グラムで7頭(42-72カ月)、1グラムで10頭中7頭(45-75カ月)が発病しました。観察は110カ月まで行われました。9年間あまりかかった大変な実験です。

 最小感染量が1グラム以下と分かったために第2回目の実験では1グラム(5)0.1グラム(15頭)、0.01グラム(15 頭)が投与されました。その結果、1グラムで5 頭中3頭、0.1 グラムでは15頭中3頭、0.01グラムでは15頭中1頭(潜伏期59カ月)が発病しました。現在、投与後67カ月目で実験はまだ続いています。0.01グラムという微量でもウシが感染・発病することが明らかになったわけです。

 もっとも、この結果は第1回の実験成績から予想されていたことと、ウエルズは述べていました。

2)ウシのリンパ組織での感染性

 BSEウシでは脾臓やリンパ節には感染性はまったく見つかっていません。この点をさらに確認するために、発病末期の5頭のBSEウシのリンパ節もしくは脾臓をプールしてマウス(RIII系統)または子ウシの脳内に接種して感染性を調べています。マウスは700日間、ウシは86カ月間観察した結果、感染性はどちらでも見つかりませんでした。ウシはマウスの500倍の検出感度がありますが、それでも感染性は検出限界以下ということになります。

 ヒツジのスクレイピーでは、潜伏期中から瞼の瞬膜にある小さなリンパ節(これは人間にはありません)に異常プリオン蛋白がみつかります。これを参考に、野外で発病したBSEウシ10頭の瞬膜リンパ節をプールして、5頭の子ウシの脳内に接種して調べたところ、1頭が31カ月後に発病しました。残りの4頭は現在42カ月目で、まだ発病していません。マシューズはこの成績に驚いたとだけ述べて、それ以上のコメントはつけ加えませんでした。これからの研究課題になるものと思います。 

3)ブタへのBSE接種実験

 ブタではBSE病原体の経口投与を行った場合、7年間観察した結果、まったく発病は見られていません。一方、脳内接種、静脈内接種と腹腔内接種を同時に行った場合には最終的に8頭中5頭で神経症状が出現し、別の2頭では症状は見られませんでしたが、脳に空胞病変が見つかっています。その結果、自然界でブタが餌からBSEに感染することはあり得ないが、感受性は持っているとみなされています。これらの事実は私の著書をはじめ、多くの解説でよく知られていることです。

 今回、これらの実験成績の詳細が報告されました。その結果、経口投与されたブタでは、接種後24ヶ月目に殺処分して採取した組織や、実験終了時の84ヶ月目に採取した組織のいずれでも、マウス脳内接種で感染性はまったく検出されませんでした。この結果は、自然界でブタが病原体のリサイクルに関わった可能性は考えにくいことを示しています。

 脳内、静脈内、腹腔内の3経路で接種され、空胞病変が確認されたブタでは、脳と脊髄に感染性が検出されました。ほかに低いレベルですが、胃、空腸、回腸遠位部、膵臓でも感染性が検出されています。

 これらの成績は、ウエルズたちがJournal of General Virology 84, 1021, 2003で発表していますので、関心のある方はこれをご覧ください。

4)ニワトリへのBSE接種実験

 ニワトリにBSEを経口投与または脳内接種した場合、まったく発病は見られないことが、1997年に短報として発表されています。その成績の詳細が今度初めて紹介されました。まだ論文として発表はされていません。

 ニワトリへの経口投与実験は5グラムのBSEウシ脳の10%乳剤で行われました。その結果、5年間観察した結果、発病は見られず、また、組織に感染性は検出されませんでした。

 脳内接種実験としては、BSEウシ脳乳剤50マイクロリットルが孵化直後の1日令のヒナに接種されました。一方、2週令のヒナには1ミリリットルが腹腔内に接種されました。いずれも5年間観察した結果、発病は見られませんでした。いくつかの組織をマウスの脳内に接種して調べた結果、感染性は見いだされませんでした。すなわち、ニワトリはブタと違って感受性も持っていないと考えられます。

 これらの実験の際に問題になったのは、接種されたニワトリの中に運動障害を示すものが見られたことです。これがBSE感染によるものかどうかを調べるために、運動障害の症状が見られたニワトリの脳の材料を、さらにマウスやニワトリの脳内に接種する実験が行われ5年間観察されましたが、病気を伝達することはできませんでした。ウエルズの意見では、実験に用いたのは商業用ニワトリで通常は2年以内に処分されるもので、長期間飼育されることはほとんどなく、多分、高齢化に伴う変化ではないかということです。

5)ヒツジでのBSE

 これはヨーロッパで大きな問題になっているもので、英国ではヒツジへのBSE接種実験が行われています。ヒツジではプリオン遺伝子のタイプによりスクレイピーに感受性のものと抵抗性のものがあります。BSE接種でも感受性の遺伝子型のヒツジは20頭すべてが発病・死亡しています。抵抗性の遺伝子型のヒツジは現在71カ月目で、すべて正常なままです。

 英国のヒツジにはスクレイピーに感染したものが混入しているおそれがあるため、スクレイピー・フリーのニュージーランド産のヒツジでも実験が繰り返されましたが、まったく同じ成績でした。

 ヒツジのBSEでは感染性の分布はウシの場合と異なり、広範囲に見いだされます。肝臓、回腸遠位部、腸管膜リンパ節、迷走神経、4つの胃、十二指腸、脳、脊髄、種々のリンパ節などです。

 ヒツジのBSEとウシのBSEの比較について、かなりの議論が行われましたが、これは省略します。

2.慢性消耗病

 この病気を最初に報告し、この領域の第一人者であるワイオミング大学のエリザベス・ウイリアムズ(Elizabeth Williams)が、詳細な報告を行いました。

 もっとも重要な問題のひとつはウシへの感染の可能性です。しかし、ウシへ経口投与した後、6年以上経っていますが、感染の成立は見られていません。したがって自然感染の証拠は得られていないことになります。脳内接種実験では一部のウシで発病が見られていますが、症状はBSEとは異なっています。

 慢性消耗病はミュールジカ、オジロジカ、アカシカ(elk)の3種類でのみ見いだされています。これら3種類のシカへの経口投与実験の成績も紹介されました。

 いずれの場合でも3ないし6カ月目という早い時期から消化器、リンパ節、脳などに異常プリオン蛋白が検出されます。そこで、病原体は糞便、尿、唾液などから排出される可能性が疑われています。

 慢性消耗病対策については、USDAの野生動物担当のリン・クリークモア(Lynn Creekmore)が発表しました。彼女は、発生状況、診断方法(標準法である免疫組織化学、州によっては扁桃の生検材料での診断)、USDAによる農場の清浄証明計画、ELISAによるサーベイランスの問題点、シカのような代替家畜(alternative livestock)に対する行政システムの不十分な面など、さまざまの話題を提供しましたが割愛します。


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