140.21世紀におけるコッホの原則:ゲノムの時代の病原体特定の条件

原因不明の病気から分離された細菌やウイルスが病因であると結論するために、以下のようなコッホの3原則を満たすことが求められている。

  1. 病気の宿主または特徴的な病変で特定の細菌が規則的に見いだされなければならない。
  2. 特定の細菌が病気の宿主から分離され人工培地で増殖しなければならない。
  3. 純培養した細菌を健康な感受性のある宿主に接種することにより病気が再現されなければならない。

 

ロベルト・コッホは、1876年、炭疽の研究から初めて炭疽菌の培養に成功し、さらに培養液を種々の動物に接種すると炭疽にかかることを確認して、病原細菌の概念を確立した。この研究がきっかけとなってコッホの原則が生まれたのであるが、この名称はコッホ自身が付けたものではなく、彼の弟子のフリードリヒ・レフラーが、1883年にジフテリア菌の分離報告で述べたものだった。彼は、「もしジフテリアの原因が微生物であれば、これらの3つの原則が満たされることが、病気の原因が寄生性のものによることを厳密に示すために絶対に必要である。」と書いていた (1)

 

レフラーは1897年、口蹄疫のウシから細菌濾過器を通過する微小な細菌を分離し、コッホの原則にしたがって、これが病因であることを証明した。ウイルス学の出発点となった口蹄疫ウイルスの分離にも、コッホの原則が適用されていたのである。

 

微生物学の進展でコッホの原則はきわめて重要な役割を果たしてきたが、限界があった。とくに、ウイルス学では限界がさらに明らかになった。現代ウイルス学の父と呼ばれたトーマス・リバースは、「コッホ自身、すべての条件が満たされない例があるのをすぐに気が付いていたのに、あまりにも多くの研究者がこの原則に盲目的に固執しているのは不幸なことである。――病気によっては、とくにウイルスによるものに関しては、コッホの原則にこだわるのは、役立つのではなく、邪魔をすることになる。」と述べていた。

 

1980年代に遺伝子解析の手法が応用されるようになり、1989年、C型肝炎ウイルスが培養ではなく、遺伝子として発見された。このような遺伝子検出にもとづいて発見・分離されるウイルスの場合には、コッホの原則をあてはめるのが難しい。

 

21世紀におけるコッホの原則として、フレドリックスとレルマンは,以下のような提案を行った。

 

  1. 想定される病原体に特徴的な核酸配列が特定の感染症のほとんどの例に存在しなければならない。その核酸は、病変を欠く臓器には存在せず、病気に冒されている臓器または部位に選択的に見いだされなければならない。
  2. 病気にかかっていない宿主では、病原体に関連する核酸配列はわずかに見つかるか、または皆無でなければならない。
  3. 病気が治れば、病原体に関連する核酸のコピー数は減少するか、検出できなくならなければならない。症状が再発した際には再び検出されなければならない。
  4. 発病する前に配列が検出されたり、配列のコピー数が症状の重さや病変に相関している場合は、配列と病気の関連には因果関係がある。
  5. 得られた配列から推測される微生物の性状は、そのグループの病原体で知られている生物学的特徴に適合しなければならない。
  6. 組織レベルで見いだされた配列は細胞レベルでの配列と相関しなければならない。病変のある組織領域や微生物が見える部位または微生物が存在すると推定される領域において、特異的in situハイブリダイゼーションで配列を見つけなければならない。
  7. これらの配列に基づく証拠は再現されなければならない。

 

これらの条件が満たされれば、ウイルスが分離されなくても、遺伝子やゲノムといった指標で病因と結論づけることができる訳である(2, 3, 4)

 

21世紀に最初に出現したエマージング感染症(新興感染症)である重症急性呼吸器症候群(SARS)や新型コロナウイルス感染症では、ウイルスが容易に分離され、コッホの3原則に従って病因が確定している。

 

SARSでは、病原ウイルスの候補として、患者から最初にメタニューモウイルス、続いて新しい遺伝子配列のコロナウイルスが分離され、どちらが原因か問題になった。サルへの感染実験でコロナウイルスが肺炎を起こすことが確認されたことから、新しいコロナウイルスが原因と確定されたのである。

 

新型コロナウイルスの場合、ネイチャー誌に発表された新型肺炎の最初の報告では、患者の肺の洗浄液からウイルスが分離され、SARSコロナウイルスに近縁ということがゲノム配列で明らかにされた。経時的に患者から採取した血液では、発病初期に分離ウイルスに対するIgM抗体、ついでIgG抗体の上昇が確認された。この抗体の上昇パターンから新型コロナウイルスが新型肺炎の原因と推定されたが、論文では、まだ動物での病気の再現が行われていないので結論はできない、と述べている(5)。その後、ハムスターなどでの病気の再現も確認され、コッホの3原則は満たされた。

 

ポリメラーゼ・チェーン反応(PCR)や次世代シークエンサーの開発で、培養では分離できず、遺伝子配列で見いだされる病原体候補のウイルスは、今後増えることが予想される。そのような場合、フレドリックスとレルマンの提案が参考になるであろう。

 

文献

 

  1. Thomas B. Brok: Robert Koch: A Life in Medicine and Bacteriology. ASM Press, 1999.
  2. N. Fredricks, D.A. Relman: Sequence-based identification of microbial pathogens: a reconsideration of Koch’s postulates. Clin. Microbiol. Rev., 9, 18-33, 1996.
  3. Vincent Racaniello: Koch’s postulates in the 21st
  4. https://www.virology.ws/2010/01/22/kochs-postulates-in-the-21st-century/
  5. Ian Lipkin: Microbe hunting in the 21st Proc. Nat. Acad. Sci. 106, 6-7, 2009.
  6. Peng Zhou, Xing-Lou Yang, Xian-Guang Wang et al: A pneumonia outbreak associated with a new coronavirus of probable bat origin. Nature, 579, 270-273, 2020.