人獣共通感染症連続講座 第21回 エマージング・ウイルス (その3)

(10/26/95)

Scientific American 10月号に上記の表題の話がのっていました。 著者はパスツール研究所の出血熱レファレンスセンターのベルナール・ル・グエノBernard Le Guenno です。 彼はこの講座第3回でもご紹介したコートジボアールでのチンパンジーからのエボラウイルス感染についてランセットに報告を書いたウイルス研究者です。 いずれ全文の和訳が日経サイエンス(大体2か月遅れですので多分12月号)にのるはずですので、要点だけをここにご紹介します。 まえがきは1993年5月にニューメキシコでふたりの若いカップルがあいついで急性呼吸困難で死亡した事件、すなわちハンタウイルス肺症候群の紹介から始まります。(本講座第15回参照) ついでサビアSabiaウイルスが出てきます。 これは1990年にブラジル・サンパウロ州で突然死亡した農業技術者から分離されたウイルスです。 (昨年エール大学医学部アルボウイルス研究ユニットの研究者がこのウイルスの入ったびんを壊したのに報告せず、12日後に発病してからこのことが明らかになって、大問題になるという事件がありました。) 以下、本文の抜粋です。

ハンタウイルス肺症候群のシン・ノンブレウイルス(この名前は正式ではありません)、サビアウイルスいずれも出血熱を起こす。 出血熱の原因ウイルスにはいくつかあり、黄熱の原因アマリルAmarilウイルス(この名前は知りません)の属するフラビウイルス科がもっとも古くから知られていた。 アレナウイルス科・ハンタウイルスの属するブニヤウイルス科とフィロウイルス科は最近有名になってきたものである。 出血熱ウイルスはエマージングウイルスのなかでもっとも恐ろしいものである。 これらは新しいものではなく、数百万年存在していて、環境の変化で脚光を浴びるようになったものである。

診断法の改良

サンパウロでサビアウイルスに感染した最初の人は初め黄熱と考えられた。 サンプルがウイルス分離設備をもった実験室に送られてはじめて病原体が同定できた。 多くの出血熱ウイルスは熱帯地域で、不十分な診断設備の病院しか存在せず、また多くの病人は病院に入院しないようなところに存在している。 シン・ノンブレウイルスが診断できたのはハンタウイルスについての知識の蓄積があったから である。 ハンタウイルスの長い歴史ののち、診断のための試薬が出来てきたのはこの10年に過ぎない。 この試薬のおかげでシン・ノンブレの診断ができ、さらにポリメラーゼ・チェーン反応で確認できたのである。 この診断は8日以内に行われた。

病原体

出血熱の流行の最大の理由は人による生態系の撹乱。 ベネズエラで1989年に起きたアレナウイルス・グアナリトGuanaritoはまさにこれに相当する。 最初の15例は森林地帯の開発を初めた田舎で見いだされた。 この宿主であるコットンラットの糞尿を介した感染で、100例以上がこの地域で診断された。 ほかのアレナウイルスとしてはボリビアに1952年に出現したマチュポウイルス(本講座13回参照)、1958年にアルゼンチンに見つかったフニンウイルスがある。 これらはヨルマウスが宿主である。 これらの動物の絶滅作戦で1974年以来マチュポによる人の感染は抑えられてきた。 しかし20年の小康状態ののち、同じ場所に1994年夏にふたたび現れ、1家族の7人全員が感染した。 アルゼンチン出血熱の原因フニンウイルスはブエノスアイレスの草原に1940年代に現れた。 広大な地域でのとうもろこし栽培が宿主のヨルマウスの集団に餌を供給することになり、畑で働く人への感染を引き起こした。 最近では農業の機械化でコンバイン収穫機がウイルスに汚染したほこりを撒き散らすだけでなく、動物もひき殺してその汚染血液のエアロゾルをも作り出している。 アレナウイルス・サビアではこれまでひとりの死亡しかみつかっていないが、ブラジルでは診断されない多くの例があるに違いない。 農業開発により宿主の齧歯類がサンパウロの住民に接触するようになったら流行の危険性は現実のものになる。 ヨーロッパでのハンタウイルス・プーマラPuumalaの主な宿主ヤチネズミは森林の動物であり、小屋などで森から集めた木を取り扱っている時に汚染したほこりを吸って感染することがもっとも多い。 人間がいつも環境の変化の原因ではない。 シン・ノンブレの出現は1993年春にニューメキシコ、ネバダ、コロラドの山や砂漠に大量の雨と雪が降ったことによる。 宿主のシカネズミの餌となる松の実が異常な湿度で沢山取れたのである。 1992年から93年の間でシカネズミの数は10倍に増えた。

蚊による伝播

ブニアウイルスのあるものは齧歯類より蚊で媒介される。 ダムや灌漑で昆虫が増え、また人間と動物の接触が起こる。 1997年のエジプトおよび1987年のモーリタニアでのリフトバレー熱の流行はこの原因によると思われる。

事故による汚染

1969年のナイジェリアでのラッサ熱の際に修道尼が死亡する前にほかのふたりの修道尼に感染させたこと、翌年同じ病院でふたたび流行が起きた際には25人の感染者の17人は最初の犠牲者と同じ部屋にいたらしいということなどがその1例。 ワクチン産業での危険性としては1967年のマールブルグ病の例がある。 マールブルグウイルス、エボラウイルスと同じフィロウイルスでのカニクイザルの感染が1989年に起きた時はCDC の専門家はパニックにおちいった。 この原因レストンウイルスでは人の病気は認められなかった。 今年の1月には象牙海岸で死亡したチンパンジーから人へのエボラウイルス感染が起きた。

移り変わる漠然とした標的

出血熱病原体フィロウイルスの極端な変異と進化のスピードはこれらがマイナスセンスのRNAウイルスであることに起因する。 マイナス鎖のRNA からウイルス蛋白を産生するには、まずRNA合成酵素によりプラス鎖RNA が作られなければならない。 この際にエラーが起こりやすい。 そして変異ウイルスが出来てくる。 アレナウイルスやブニアウイルスでは遺伝子が分節になっている(アレナでは2個、ブニアでは3個)。 同じ種類のウイルス2つが細胞に感染すると文節間で組換えが起こり新しいウイルスが生じる。 この後、発病機構についての説明が続きますが、省略します。

制圧のための展望

  • WHOによる国際監視機構。
  • 抗ウイルス剤(中国でのハンタウイルス感染ではリバビリンが有効)。
  • ワクチン(アルゼンチンのフニンウイルスのためのワクチン開発、リフトバレー熱では動物用ワクチンはすでに承認されている)。
  • 齧歯類のコントロール(ラッサ、マチュポでは効果的なキャンペーンが実施された)— 困難または不可能。
  • 実験室と病院での注意(皮肉なことに病院が流行の増幅を起こした例がいくつかある)。

 

「エボラでの未解決の疑問」(ローリー・ギャレット)という文が挿入されています。

ローリー・ギャレットはNewsdayの記者でThe Coming Plagueの著者として有名です。 Newsdayの論説は本講座7回、The Coming Plagueは本講座13,15回でご紹介しました。 なお、この和訳は来年春に新潮社から第3のペストという題で出版されるそうです。 (ついでに本講座11回でご紹介したクローズ医師によるエボラという本の和訳が文芸春秋から出版されたのを先日、新聞広告で見ました)。 この文で彼女は疫学的な解説ののちに宿主の問題と変異により空気感染を起こすようになる可能性を未解決の疑問として提示しています。 私にとっては前半の疫学の方が興味がありましたので、その部分だけを簡単にご紹介します。 彼女の提示した疑問についてはいずれ出るはずの日経サイエンスでの翻訳をご覧になってください。 エボラの流行の拡大の原因は人的要素による。 第1は病院の衛生状態。 第2は地域の埋葬の習慣。 第3は外科手術での汚染。 第1の要素は1日に300人もの患者に滅菌していない注射器を反復使用しなければならなかったような病院の状態。 第2の要素はキクウイトでの葬式の習慣。 死者を洗い身支度をさせる。 最初の患者ガスパード・メンガGaspard Mengaは熱帯雨林でたきぎを集めている際に感染したらしい。 ウイルスは彼の看病を行い、葬式で彼の身体に触れた彼の家族13人に急速に拡がった。 キクウイトで病気の拡大をもたらした第2のきっかけはキクウイト総合病院であった。 致死的な血便の下痢患者があふれ、医師達は新しい細菌株によると考えた。 医師は薬剤抵抗性を調べるために臨床技師に採血を命じた。 この技師が発病したとき、猛烈に腫れた腹部と高熱はチフスによると考え、損傷をくいとめるために手術を行った。 最初の手順は虫垂切除で、ついで起きたのは恐怖であった。 医師と看護婦が技師の腹部を切開したところ、血液でびしょぬれになった。 技師は血がとまらず手術台の上で死亡した。 この汚染した外科チームが流行の第2波となった。 航空機による旅行が容易になったことからウイルスは容易に地球上を動くことができるようになった。 公衆衛生や医療施設が急速に荒廃してきた元ソ連などは要注意である。 この後、宿主の問題、ウイルス変異の可能性についての疑問が提示されていますが、省略します。