人獣共通感染症連続講座 第169回自然界でのウイルスの生態

(2/2/06)

私が勤務している日本生物科学研究所の機関誌「日生研たより」の51巻6号(通巻535号)に表題の巻頭言を書きましたので転載します。

自然界でのウイルスの生態

生物界は真性細菌、古細菌、真核生物の3つに大別されるが、最近、それらに寄生するウイルスの間に共通性がみつかってきたことから、ウイルスはこれら3つの生物界が分かれた30億年前には地球上に出現したものと推測されるようになった。細胞の代謝系やエネルギー産生系に依存しなければ子孫を作り出せないウイルスは、その存続の場となる自然宿主と30億年にわたって、さまざまな戦略で共生してきたことになる。わずか20万年前に出現した現生人類(ホモ・サピエンス)は、ウイルスにとってはその存続の場として必要なものではなく、たまたま遭遇した動物の一種にすぎなかった。

最近、トリインフルエンザウイルス、SARSコロナウイルスなどのエマージングウイルスのように、人に致死的感染を起こす野生動物由来のウイルスが続々と見いだされている。これは現代社会の発展に伴い、野生動物と人間の距離がせばまったために偶然起きてきた結果にすぎない。それでは、野生動物にどれくらいのウイルスが存在しているのであろうか。たまたま、人が感染した場合、その宿主である野生動物についての関心が高まると、いくつもの新しいウイルスが見つかってくる。その典型的な例は、コウモリのウイルスである。オーストラリアで馬と人に致死的感染を起こしたヘンドラウイルスおよびマレーシアで豚と人に致死的感染を起こしたニパウイルスの自然宿主がオオコウモリであったことがきっかけになって、オオコウモリで新たに、リッサウイルス、メナングルウイルス、チョウマンウイルスが見つかった。SARSコロナウイルスの自然宿主探しでも、コウモリに焦点を合わせた研究の結果、最近になってキクガシラコウモリが自然宿主であることが2つのグループから報告された。膨大な種類の野生動物のそれぞれにウイルスは寄生しているはずであるが、その生態はまったく分かっていない。

ところで、ウイルスは陸地の生物にだけ寄生しているのではない。海洋生物には陸上を上回る膨大なウイルスが存在していることが、1980年代終わりから指摘されるようになった。米国メリーランド州では海水中のウイルスの量が夏には1 mlあたり10億個にもなり、藻類や細菌の数を上回ることが観察されている。ノルウェイのフィヨルドの海水でも同様の観察が行われ、ウイルスが遺伝材料を藻類に運び込んで藻類の適応変異を助けているという考えが示された。

最近、世界の海に含まれるウイルスについて興味ある試算が発表された(Nature 437, 356, 2005)。それによると、深海では3 x 106/ml 、沿岸の水には108/ml のウイルスが含まれると推定されることから、地球上の海洋の容量を1.3 x 1021 l 、それに含まれるウイルスの平均数を3 x 109/l と仮定すると、海洋全体には4 x 1030のウイルスが含まれることになる。海のウイルスに含まれる炭素を約0.2 フェトグラム、長さを約100 ナノメーターと仮定すると、海のウイルス全体に含まれる炭素の量は2億トン、シロナガスクジラ7500万頭に相当する膨大なものになる。仮にウイルスをつなげると、全体の長さは1000万年光年になるという。ウイルスは、海の中でもっとも遺伝的多様性を持った生命体として、海洋生態系に大きな影響を及ぼしていることが想像できる。

これまで、我々はウイルスを単に感染症の原因としてとらえてきたが、地球上でもっとも長い歴史を持った生命体という視点にたって、ウイルスの存在意義をあらためて考えるべきであろう。